森律子の父は長髪弁護士森肇、弟は自殺?—女言葉の一世紀 120-(松沢呉一) -3,345文字-
「「万国平和会議で平和を絶叫したい」と語る森律子—女言葉の一世紀 118」の続きです。
長髪弁護士・森肇について
自分が誘惑に負けず、女優業に専念できたのは親と同居していたからだと何度か森律子は書いています。森律子は『娘問題』で、世間で言われるような誘惑はないと書いていて、前回見たように『妾の自白』(大正七年)でも同様なのですが、細かな誘惑はあるとして具体例を出しています。
これは役者や作家、演出家などからの誘惑ではなくて、おもにファンからのものです。脅迫状めいた手紙が届いたり、おかしな電話がかかってきたり。それも親が対処しているのですが、たまたま実在の人と苗字が一致しているなどして、本人が電話に出ることもあって、もし親がいなかったら、もっと危険なことになっていただろうと森律子は書いています。ファン意識が昂じて刺すようなのが昔も今もいますから。
親が応援してくれていたことが幸いです。親が頑固であったなら、養成所に入る際に絶縁されて家を出るしかなかったでしょうし、その前に夢が潰えていた人たちも多かったでしょう。
大正前期に自宅に電話があったのは相当に珍しいですが、これは父親が弁護士であり、代議士でもあったためでしょう。
父親の森肇は相当な変わり者だったようです。長髪で知られ、癇癪持ちでもあって、怒ると止められず、家の中で猟銃を撃ったこともあるらしい。弁護士で代議士なのに。弁護士や代議士じゃなくてもそんなことしないし。
森律子は『妾の自白』の中で父親が禁酒したと書いているので、酒癖が悪かったのかもしれない。それにしてもです。
※森肇の写真は『明治弁護士列伝』(東恵仁編)より。村上隆にちょっと似ている。
若き頃、森肇は新富町の芸者・玉吉と深い仲に。二人は結婚する約束をするのですが、森肇の先輩がこれに反対。素直に従うことはできず、さりとて先輩に歯向かうこともできず、森肇は玉吉に相談をします。玉吉は森肇の将来を考え身を退く決心をします。
「私はよっく得心しました。何卒私しに遠慮をなさらずに奥さんを迎えて下さい。其代り例令奥さんをお迎えなすっても、私しは私しとして末永く、何卒変らず可愛がって下さい。ああ、浮世の義理は辛いのねえ」
それから三十年経っても、その約束を忘れず、森肇は東京にいる時は玉吉に会っていたそうな。
森君の令嬢律子が、女優にならうとした時も、森君が第一に相談したのは玉吉である。而して玉吉は、是非ともお嬢さんのお心通りになさいまし、今に屹度成功しますよ、と悉く賛成したので、森君の心も初めて決したと伝へられる。
明治二十年代のことですから、芸者と結婚したところで長髪程度にも支障はなかったはず。そこは些か情けないのではありますが、女優森律子が誕生したのは玉吉のおかげなのでありました。
女優になるような卒業生は除名せよ
親が守ってくれていたからまだよかったようなもので、この時代の女優に対する風当たりはすさまじいものでした。
Wikipediaによると、彼女が女優になったことで、卒業した跡見女学校の同窓会から除名され、弟は自殺したとあります。
弟の死については森律子自身も『妾の自白』(大正七年)の中で触れてはいるのですが、いかにそれによって衝撃を受けたのかについて綴っており、死因については自分が女優であったことが関わっているかもしれないとほのめかしている程度です。
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