松沢呉一のビバノン・ライフ

嫌われるのが怖い—本当に児童生徒の読解力は落ちているのか?[6]-(松沢呉一) -3,557文字-

間違いが撤回されない事情—本当に児童生徒の読解力は落ちているのか?[5]」の続きです。

 

 

 

笠原嘉+加賀乙彦『嫌われるのが怖い』

 

vivanon_sentence私が大学生の時に、朝日出版社のレクチャーブックスで、精神科医の笠原嘉と作家の加賀乙彦とが『嫌われるのが怖い』という本を出していました。私はレクチャーブックスが好きで一通り読んでまして、この本を筆頭に、心理学、精神医学関係のテーマが多かったと記憶します。このシリーズはタイトル通り、専門家と言われる人が文化人枠の人を相手に講義するというスタイルの本です。生徒役も一筋縄では行かない人たちであり、その領域についての理解もあるので、緊張した関係での講義が展開されていきます。そこが読みどころ。

子どもの頃を振り返れば、嫌われるのが怖い心理はほとんどの人が理解できようかと思います。私も理解できます。仲間はずれになりたくない。他の人と違うことをして笑われたくないとビクビクして生活していたように思います。

しかし、人間関係をどこでも作れる大学生になると、そんなことはたいして怖くなくなる。クラスで嫌われても、大学のクラスは自分の生活において重きがない。授業に出て、あるいは出なくても、レポートを出して試験を受けさえすれば事足ります。サークルの人間関係、別の大学での人間関係、バイト先の人間関係、それらとも違う人間関係がさまざまあるし、それらが全部失われてもまた作ればいい。とくに人がいっぱいいて、コミュニティがいっぱいある都市部であればそれほど難しいことではありません。

当時はサークルで揃いのスタジャンを着るのが流行り始めた頃で、キャンパスにはそういう連中がゴロゴロしてました。それを心底私は嫌い、軽蔑してました。今でも私は揃いのTシャツを着るのが嫌いです。スタッフ、関係者であることを表示するTシャツは着ることがありますが、自ら好んでは着ない。見た目がカッコいいか否か、オシャレか否かはどうでもよくて、カッコ悪くても人と違う方がいい。

そんな私でありますから、『嫌われるのが怖い』を読んでも「へえ、そういう人たちいるのか」と思っただけでしたが、自分と違うがゆえに教えられたことも多かったと記憶します。詳細は全部忘れてますが、どこかしらに蓄積されていそうです。

大学と違って、会社だと人間関係を大事にするのは理解できますが、会社以外の場面でも、人に嫌われることが極端に怖い人たちがいるのだと最近になって実感することが多くなっていて、もう一度読み直すとさらにリアリティを伴って理解できることがありそうです。

 

 

他人と違うことが怖い人と他人と同じことが怖い人

 

vivanon_sentence私はそういう人たちとまったく逆に、人と同じになることに怖さがあって、だから、組織に属することが苦手。話題の本なんてものに興味がない。人が読んでいる本と同じものを読みたくないので、今この瞬間、読んでいる人が一人もいないであろうものを好んで読む。必要に迫られて売れているものを読むこともありますが、自ら望んでそうすることはあまりない。

知られざる音楽を聴くのは好きですが、ヒット曲も懐メロも嫌い(生まれる前のものなら懐メロも受け入れられます。また、カラオケ用には売れている曲も覚えておこうという意識が生じます)。ほとんど誰も読んでないのに、延々と世界のコンドームについて調べ続けているのも私にとってはこの上ない快楽です。

嫌われても言いたいことは言う。もちろん、私とて人間関係を重視して、こっそりとしか言わないことや、本人にしか言わないこともありますが、それは恥ずかしいことだと思ってます。

実際、嫌われることはあるわけですが、「それがどうした」としか思いません。「すべての人に嫌われてもいい」とまでは思わないし、思ったところで、そんなことは不可能。地球上には70億人もいますからね。

積極的に嫌われたいわけでもないですが、結果嫌われても仕方がない。こういう生き方をするのは損することも多いのですが、なにより自分の考えに従うことは私にとって得なのです。ストレスがないですから、それだけで値千金。

そういうところが極端で強迫的でもあって、強迫性人格障害ではないかと自分を疑っているのですけど、これが逆方向で極端に作用することを想像すると、そういう人たちの行動が読めてきます。

誰もやっていないことに踏み込むのが怖い。自分の意見を表明して、他の人と違っていると怖いので、意見表明をしない。批判されることも当然怖い。意見表明するとしたら、皆が意見表明をしてから、それをなぞる。話題のものをチェックし、周りの人が読んでいるものを読み、聴いているものを聴く。売れているものが好き。売れているものを着るのも好き。人とつながっていないと不安なので、携帯を手放さない。私と逆方向でそうしないではいられない。

私はそういう臆病な人たちが嫌いなので、嫌われるのが怖い人たちも結局嫌われているのです。だったら、他人に媚びずに嫌われた方がいいではないか。嫌われることを覚悟すると楽です。と思うのは少数派なのかも。

 

 

防衛のための合理化

 

vivanon_sentenceこういうタイプの人たちに特徴的なのは、人の間違いを注意しないだけでなく、間違いを間違いと認識しなくなるってことです。合理化です。

 

 

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