松沢呉一のビバノン・ライフ

「意思表示をしよう、意思表示を尊重しよう」で話はおしまい—セクハラって何?[6]-(松沢呉一)-3,991文字-

各大学は京大を見習え!—セクハラって何?[5]」の続きです。

 

 

 

ここまでのまとめ

 

vivanon_sentence

ここまでをまとめると、民間企業や学校でも、自分らで考えるのが面倒だったら人事院を真似しておけばいいってことです。

セクハラに関する規則は大きく三つあって、ひとつは処分の規則、ひとつは防止策の規則、ひとつは個々人の心構えに関する規則。

厳密な定義は一番目の「懲戒処分の指針について」で定められています。これがセクハラの定義。裁判もおおむねこれに近い基準で判断されています。セクハラに関する裁判はしばしば批判されますが、多くの場合、批判する人たちがゆるゆるの定義を信じていることに原因があるだけだと思いますから、そういう人たち自身が考え方を改善した方がよい。

まず認識しておくべき重要な要件は、セクハラは限定された場面のみで成立するってことです。会社やそれに類する諸団体などの職場や学校などで成立する。セクハラは男女雇用機会均等法で定められていますが、これも雇用者の義務を定めたものです。

容易に離脱できない環境で、セックスの誘いを断ったら解雇されて路頭に迷ったり、学校を卒業できなくなるなんてことがあっていいはずがなく、その損害も大きいですから、これに損害賠償を認めたり、そういうことのないように防止策を講じることに反対する人はそうはいないでしょう。

そこから逸脱したことを言い出すから反発が起きます。

たまたま飲み屋で会っただけの関係で、ただ「セックスしようよ」と誘っただけで賠償請求が認められたケースなんてないでしょう。「せっかくボトルを入れたのに店に行けなくなったので、ボトル代返せ」くらいは店に言ってもいいとして。あるいは裁判になったことはあるかもしれないけど、そもそもセクハラ裁判とはされていないのではなかろうか。それが契機でつきまとわれたら、ストーカー防止法や迷惑防止条例の範疇。

それとこれとを同じセクハラという言葉で並列に語ることがそもそもおかしい。子どもを抱えて働くバツイチがいたとして、雇用者が「愛人になれば規程の給与以外にも手当を出そう」と言い出し、それを断ったら解雇されて家賃も払えなくなり、母娘はアパートを追い出されましたと。そういう話と、飲み屋で初めて会った相手が「ホテル行こうぜ」と誘ってくることが同じに見えるのか?

このおかしさから反発する人たちが出てきてしまい、極端対極端の闘いになります。

※ストリートビューで京大の正門を探していたら、道に迷って「つけ麺マン」百万遍本店の中に入ってしまいました。ストリートビューでもよく道に迷う私です。

ストリートビューの画像については米国法のフェアユース適用とGoogleの利用規約に出ております。SSについての規程はとくにないようですが、こちらも同じでしょう。あくまでGoogleが自分の権利についてそう考えているということであり、日本においては日本の法が適用され、被写体となった表現物の権利者がそう考えるとは限らず、看板等のイラスト、写真については、映り込んでいるのはいいとして、それ自体をアップにすると問題が生じる可能性あり。「つけ麺マン」の店内にもイラストがあって、念のため、そこは避けておきました。誰もが見ることを前提とした屋外ならともかく屋内ですから。

ストリートビューのSSを撮る時は下部のGoogleの文字も入れるようにして、ストリートビューからとったものであること明記するようにしています。出典明記もフェアユースのルールです。

 

 

意思表示の重要性を無視してはいけない

 

vivanon_sentenceもうひとつの重要な要件は「拒否しているにもかかわらず、繰り返される」ってことです。それなしにセクハラが成立するケースもあっていいのですが、これはこれで条件が必要であることはここまで述べてきた通り

その条件外では、よっぽど気が弱くなければ拒否できるのですから、拒否したか否かが重要です。よっぽど気が弱い人は個人で性格改善をするしかなくて、セクハラとは無関係。

男子に対してもそうですが、とくに女子に対して、意思表示する教育をせず、むしろ意思表示することを抑制する社会や学校、家庭の問題とも言えますので、それを批判することも必要とは言え、現にそうなっている個人は個人の問題として解決するしかない。

通常、意思表示ができる場面でできないことまでをセクハラの範囲にしようとするから、フランスの公開書簡のような危惧が生じてしまいます。「女は男にイヤと言えない存在」という考え方を固定するのです。

したがって、個々人に対する呼びかけは「意思表示をしよう。イヤなことはイヤと言おう」「拒否されたら、しつこくしてはいけない」というこのふたつが必須の内容になります。クリアしているのは京大です。社員や職員、学生に対する呼びかけは京大を真似しておけばいい。

このふたつが守られれば、相手の内面を推測する必要なんてありません。推測しようにも推測しきれるものではないんですから、提案をして相手が同意するか拒否するかだけの問題です。

大学ではよく「相手の気持ちを考えよう」なんて呼び掛けていますが、そういうことを言うから小学校の標語になります。まったく違う文化の、まったく違う考え方の留学生が多数入ってきている時代に、「言わずともわかれ」のムラの発想はやめれ。必要なのは意思の擦り合わせであり、そのためには意思表示が必須です。

そんなことさえ大学が生徒に教えないのは、自己主張することより、周りを気にして、力のある人の顔色を伺い、忖度していくことが大事だと大学側も思っているからです。そんな馬鹿げた教育を今もやっている。京大以外は。他にもあるかもしれないけれど。

※たぶんこれが京大正門だと思います。今まで何度かフェンス沿いに歩いてますが、中には入ったことがないかもしれない。ストリートビューでキャンパス内に入れると楽しいのですが、京大は入れず(移動はできないですが、スポットがいくつか設定されていて、そこだけは見られます)。同志社や立命館は入れるんですけどね。インドアビュー扱いになりそうなので、制作費がかかるかもしれないですが、学内で制作すればいいだけでしょう。映像関係の学科やサークルに依頼すればいい。

 

 

next_vivanon

(残り 1537文字/全文: 4130文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ