松沢呉一のビバノン・ライフ

ハッタリと虚偽—ウソをつかないではいられない人々[上]-(松沢呉一) -2,476文字-

 

ハッタリは有効、しかし、虚偽はやめとけ

 

vivanon_sentence詐称で人生を棒に振る人たちが次から次と出てきますね。

詐称する人たちの問題だけでなく、経歴や肩書きで信用してしまう人たちの問題でもあります。経歴や肩書きを信用して、重要な役割を任せる。そうすると、今度はそのことがキャリアになって利用され、次の人たちを騙すわけですから、起用した人の責任は重大であり、たんに「騙された」では済みません。

詐称に騙されるってことは、その人たちは中味を精査していないってことです。精査しようにも精査する能力さえない可能性もあります。経歴や肩書きを信用しただけなのです。こっから脱しないと、いつまでも同じことを繰り返すだけです。

経歴詐称が連発するため、フリーの人間を起用する際に卒業証明書を出させるなどして再発防止に神経を尖らせている企業や団体もあったりしますが、それでは根本的な解決になりません。それが正しい経歴だとしても、中味のないことを見抜けないのでは意味がないじゃないですか。

この社会には学歴や経歴、肩書きで人を判断する人たちがいっぱいいて、詐称じゃなければ中味がなくても信用される。だから詐称が有効になるのです。

そこまでは否定しがたい事実ですから、その現実を踏まえて、未来ある若者には「いい大学を出ろ。いい肩書きをゲットしろ。資格をとっておけ。その上でそれを最大限利用しろ」と言わざるを得ません。そういう生き方を肯定したくないですけど、この社会ではしゃあないわ。

ハッタリも有効、ただし虚偽はNG」とも教えます。全然優秀じゃなくても、「優秀」という表現は検証不可能なので、「大学を優秀な成績で卒業」までは有効なハッタリの域、「大学を主席で卒業」は虚偽になるからやめとけ。大学中退なのに「卒業」も虚偽になるからやめとけ。技能士ではないのに「技能士」と称するのは法に反する詐称になるからやめとけ。

※野村沙知代の訃報の中にはしっかり経歴詐称について触れているものがありました。この人もどうかしている人だったんじゃなかろうか。

 

 

なぜ詐称までするのか

 

vivanon_sentenceドクター中松にせよ、坂爪真吾にせよ、ハッタリ力を存分に発揮したわけです。東大卒にハッタリを振りかければ、それを信じる人がウヨウヨと湧いてくる。そういう薄っぺらな人たちを存分に利用しつつ、ギリギリ虚偽にならないところに留めればいいじゃないですか。「そのくらいは許容していいだろ」という範囲にしておけば、批判する人が出てきても、同時に擁護する人が出てきます。

彼らには東大卒という箔があって、その部分だけで「ははあ」と頭を垂れる権威に弱い人たちがこの社会にはいっぱいいるわけですよ。だったら、そのプライオリティを利用しつつ、あとは中味で勝負すればいい。

しかし、虚偽にまで至ると擁護はしにくい。坂爪真吾の詐称はなお「疑惑」という表現に留めておきますが、他にも彼には虚偽と言っていい記述があります。私が勝手に自分の分担と決めていた合資会社百識の範囲を越えるために触れませんでしたが、著書に書いていることと公的な記録との違いをすでに見つけています(これは熊篠慶彦提供の資料による)。本格的に検証すればまだまだ出てくる感触があります。

複数の虚偽を書いていることはほぼ間違いない。ドクター中松も虚偽と言っていい領域に踏み込んだことを書いているのは指摘した通り。

とりわけ法に反する虚偽は、それ一発で自分のキャリアがすべてすっ飛ぶかもしれない。いかにハッタリが有効であっても、その領域に至るとリスクが大き過ぎます。得するための計算ではないのだとしか思えない。では、なんのためにそこまでするのか。

 

 

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