松沢呉一のビバノン・ライフ

マスコミ関係の虚言者たち—虚言の人々[上]-[ビバノン循環湯 367] (松沢呉一) -3,400文字-

ハッタリと虚偽—ウソをつかないではいられない人々[上]」「ネーム・ドロッピングと虚言—ウソをつかないではいられない人々[中]」「セックスと虚言—ウソをつかないではいられない人々[下]」で書いた内容を実践している人たちの話です。詳しくは忘れてしまいましたが、前半はメルマガ、後半は風俗雑誌「Ping」の連載に書いたものを合体させたもので、この形での初出はメルマガ読者限定のevernoteだったかと思います。どちらも十年以上前のものです。

 

 

 

ある雑誌に掲載された架空インタビュー

 

vivanon_sentence虚言癖のある風俗嬢の話を何度か書いている。こういう話を強調しすぎると、「風俗嬢は虚言癖ばかり」などと思い込むのがいそうなので、念のために書いておくが、どこの世界にも虚言癖はいる。

マスコミ関係にもこういうのがいる。米国の新聞記者が捏造記事を作り続けていたことがちょっと前に話題になっていたが、それ以前にも「ジミーの世界」という捏造記事が話題になったことがある。

同じようなことは日本でも起きていて、伊藤律会見記事のように歴史に残る捏造記事がある。

記者の功名心だったり焦りだったりもするのだろうが、もうひとつ、虚言体質が関わっているものがありそうだ。

つい最近も捏造記事の話を聞いた。ある雑誌で大学の先生に取材したものを中心にした記事が出たのだが、本人がその記事を知り、「自分は取材を受けていない」と編集部に連絡をして事が発覚。

これを書いたライターにすぐに編集部が確認したところ、彼女は捏造したことをあっさり認めた。編集長は、名前を利用した大学の先生に事情を説明して平謝り。当然記事を書いたライターはこの雑誌の仕事を失った。

その大学の先生も事を荒立てなかったため、話はこれで終了し、誌面での説明や謝罪もしなくて済んだが、ひとつ間違えば雑誌を休刊にしなければならなかったろう。

 

 

捏造記事のパターン

 

vivanon_sentence捏造記事にもいくつかのパターンがあって、このケースは伊藤律会見記事に近い。バレるリスクが高すぎるのである。

たとえばサンゴに落書きをした「朝日新聞」のカメラマンはまさかそれがバレるとは思わなかったはずだ。海の中にあるサンゴのひとつひとつを地元ダイバーたちが常にチェックしていることまでを想像しなかっただろう。

しかし、実在の人物の名前を使った捏造インタビューはいずれバレる。バレたら言い逃れができない。本人はそれでもバレないと思っていたのかもしれないが、そう思っていたこと自体がおかしい。

伊藤律の場合はどこにいるのか警察もわからなかったくらいで、インタビューしようにもできず、だから大スクープだったわけだが、今回の雑誌記事の場合、その気になれば取材が可能であることが決定的に違う。

サンゴの落書きは現に存在しなかったものを存在したことにした。「ここに落書きがあればいいのにな」という願望が捏造を招いた。

しかし、この雑誌記事では、その大学の先生に取材の申し込みをして断られたわけではなく、最初から捏造をしている。「あの先生に取材できればいいのにな」と思ったら、取材すればいいだけなのだ。

しかも、編集部の誰一人気づいてなかったように、記事はよくできていたらしい。彼女はその著書を読んで、いかにもその先生が言いそうなことをちゃんと創作していたのである。

言うはずがないことを書かれたら雑誌の回収や賠償金を要求するところだが、捏造されたのに穏便に事を済ませたのはよくできていたためだと思われる。

そこまで調べたのであれば、取材する時間がなかったわけでもあるまい。なのに、なぜ。

※ワシントンポストは今でも「ジミーの世界(JIMMY’S WORLD)」の記事を読めるようにしています。1980年の記事なので、インターネットより前のことです。「絶対にあってはならないこと」の戒めのためでしょう。身内の恥を晒すことで再発を防止する。ここは学ぶべきです。私が出している例がそうであったように、身内の恥を隠し、なかったことにするのはよくない。だから次から次と起きるのです。

なお、「ジミーの世界」を書いた記者には学歴に関する経歴詐称もありました。この人もやっぱり虚言系でありましょう。「経歴詐称をする人は他でも噓をつく」という法則通り。経歴詐称はそれ自体の問題とともに、しばしば人格にも問題があって、信用ができないのであります。

 

 

他者に共振する人たち

 

vivanon_sentence実際のところ、そのライターがどうしてそんなことをしたのかまでは知らないが、人格障害の類なんじゃなかろうか。

捏造まで至ることは珍しいが、著作権侵害でもこういうタイプなのだろうと思われるものが時々見られる。他者が書いた文章を読んで、その内容に共振して、「これは自分の考えとまったく同じだ」と思い、その言葉が自分のもののように思えてきてしまう。

よく言えば「吸収力がある」ってことだが、自分自身の考えがしっかりあれば、すべてに同意することはなかなかないはず。しかし、自身に中味がないから、あっさり他者と同化してしまう人がいるのである。

 

 

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