松沢呉一のビバノン・ライフ

女子大生の「僕」「俺」という一人称—女子大生がヤバイ![3]- (松沢呉一) -3,276文字-

逸脱するからつながれる——女子大生がヤバイ![2]」の続きです。

 

 

 

「僕」や「俺」という一人称

 

vivanon_sentence小沢章友著『女子大生がヤバイ!』を読んでいて、主語を何にしているか気になったのは、アイドル同様、「僕」「ボク」を使用しているものがあるのではないかと思ったためです。

前回出したリストを見ていただけるとわかるように、「僕」が2本、「ボク」が1本あって、「俺」もありました。このうち、「俺」を使用している「自傷愛」という作品は、女である自分が体に違和感を抱いているというトランス的設定です。これは純然たる女の自称とは違っていて、内面の男の自称です。女が「俺」と自称することが、その状態を象徴的に語っています。

あとは男が書いている設定になっていて、女の一人称ではありません。残念。2009年に出た本ですから、実際に書かれたのはその前です。早過ぎたか。

ただ、短い文字数の小説では、「僕」と書きたくても書きにくいことは理解できます。「僕」「俺」とあればまずは男の一人称だと思われてしまいますから、そうではないことの説明をうまいこと入れ込む必要があって、それが面倒で避けそうです。

昨今はとくにオタク層の女子で「僕」を日常的に使うのを見かけます。それが奇を衒ったものでなく、会話でもメールでも使用していて、自分自身の一人称として定着していれば無理なく「僕」を使うはずですから、今だったらこの授業で「僕」を使うのがいるかもしれない。

「なし」になっているのは具体的な言葉が出てこないものです。日記文体とでも言うべきか、「私」であることは自明なので、一人称が省略されています。

主語が自明の場合は省略できる点が日本語は便利です。この便利さが主語を曖昧にしてしまう特性にもなっていて、他言語以上に「私」にすべきところで「私」を使えない人々を生み出しているのかもしれない。ごまかせてしまうのです。あるいはごまかす意識がないまま、主観に過ぎないものを客観かのように語って、不安を消そうとしてしまうのではなかろうか。

しかし、ここに掲載されている作品については、そのような傾向は見出せません。創作であっても、すべて私をストレートに表出しているのであって、当然、「私」と言うべきところで「私」を使っています。

ローターを使ってオナニーをしていることを「私」で書いたものもあって、これを授業で書けるのはたいしたものとも思いました。

※「Three Figures」 久々にメトロポリタン美術館の収蔵品です

 

 

一世紀前まで女の一人称は多様だった

 

vivanon_sentence以上の「僕」「ボク」「俺」と人称代名詞が省略されているもの以外は、すべて「私」です(そのヴァージョンである「わたし」「アタシ」を含めて)。

世間一般そういうことになっていますから、この学生たちの傾向ではなくて、むしろここではトランス的自己の表明にせよ、男に仮託する表現にせよ、ともあれ「僕」や「俺」を使用している少数の学生に私は注目しました。

よく指摘されることですが、男は「私」「僕」「俺」から選択できます。私は原稿では「私」に統一するようにしてますが、会話では「俺」が多い。文章でも会話文に近い場合は「俺」。ラフな文章では「わし」。これは会話でも使います。

「おいら」、「俺」のヴァージョンである「俺っち」、「自分」といった一人称の言葉も聞くことがあります。男で「アタシ」を使う人たちもいます。オネエ言葉だけじゃなく、江戸弁でもあります。

そういった選択が面倒とも言えますが、選択肢があるのはいいことです。その点、女の人称代名詞は「私」だけ。英語だってIだけですから、それでも支障はないのですけど、男女の不均衡を問題とする人たちは、もっといろんな言葉を使えばいいと思います。女も男と同じく多様であることを主張すればいい。

サフラジェットの活動をロンドンで見ていた森律子」で確認したように、戦前は「私」以外に「妾(わらわ)」という言葉をよく見ます。近代になってからは書き言葉に限定されていくのですが、「わたし」という読みの「妾」は長らく使用されています。一人称の「妾」に「しょう」というルビがついているものもあって、口語でそんな読みをすることがあったのかどうかわからないですが、「妾」は女の一人称をまとめて表現する漢字だったことがわかります。

近代に入ってからの使用例はほとんどなくなりますが、ありんす言葉の「あちき」もありました。

大正時代には女学生が「ボク」を多用していたことはすでに見た通り。二人称は「キミ」。女の「俺」もありました。その方言形として「おら」もありました。

 

 

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