松沢呉一のビバノン・ライフ

娼婦たちの動機—売防法をめぐる消された歴史[1]-[ビバノン循環湯 363] (松沢呉一) -4,358文字-

1998年に書いたもの。もう20年にもなるのか。雑誌の連載用に書いたのですが、出すタイミングを逸しました。その後加筆をしたのですが、それも出すタイミングを逸しました。読み直しても、今と考え方は全然変わらない。『闇の女たち』とも重なる内容で、ここから一部転載しているかも。とくに第一回目の今回。あっちを読んだ人はすんなり読めるし、読んでない人は「ああ、そうだったのか」と新鮮に読めます。と思いたい。

日本でも買春処罰導入を目論む人たちが蠢いています。この人たちは売防法を制定した人々、それを維持してきた人々の流れを汲んでいます。それが一体どういう人たちであったのか、いかに赤線従業婦たちの声を踏みにじったのか、以下を読めばよくわかろうかと思います。それをなお繰り返そうとしているのがこの連中。

なお、買春処罰導入の動きにはすでに議員も関与しています。中心人物は昨年の選挙で落選し、賢明な都民の選択に私は惜しみない拍手を送りましたが、なお彼女は政治家に復帰することを諦めていないとも聞いており、また立候補するようなことがあれば激烈な批判を開始する予定です。

図版を探すのが面倒なので、今回もストリートビューを駆使しています。

 

 

横浜エイズ国際会議

 

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以下は第24回近畿弁護士会連合会シンポジウム/第一分科会「売買春とポルノグラフィ」資料より。

 

 

横浜会議では、世界中のセックスワーカーの声もさることながら、日本人のセックスワーカーも初めて名乗りをあげた。/ここに日本でも、「セックスワーカー」という言い方、言い換えれば、それまでの親に売られたかわいそうな「売春婦」ではない、「堂々と仕事として選んだ」と主張する欧米型セックスワーカーが出現したことになる。

 

 

この「横浜会議」は一九九四年、横浜で開かれた「国際エイズ会議」のこと。ここで日本人セックスワーカーであるBUBUさんが発表をしていて、これが契機でSWEETLYという団体が結成され、これがのちのSWASHにもつながっていく。

その意義は繰り返し強調されていいのだが、初めてだったのは「エイズ会議で日本人セックスワーカーが発表したこと」であって、意思表示をするセックスワーカーたちはそれまでにも存在していた。その歴史をしっかり見ておかないと、セックスワーカーの主張は欧米の影響であり、それまでに意思表示をしたセックスワーカーたちがいなかったかのように見なされてしまう。

売防法制定を狙う人々と果敢に闘い、潰されていった無念さが見失われ、潰した人々の悪辣さも見えなくなって、「あの時代に売防法は適切であった」との歴史の改竄がなされることにもなろう。

以下は自分の中では消化しきっている内容で、他の原稿にも反映されているため、読者の皆さんは「どこかで読んだような」との印象をもつかもしれないが、私としては、何度も確認しておくべき重要な指摘かと思う。

※Googleストリートビューより横浜真金町の商店街。遊廓、赤線があったのは黄金町ではなく、真金町。現在ではラブホテルがチラホラあるくらいで往時を偲ぶものはほとんど残されていない。

 

 

見えなくされた、娼婦たちの動機

 

vivanon_sentenceしばしば売春批判をする人たちは、古い時代のデータを持ち出したがる。「こんなに麻薬に汚染されている」「こんなにヒモ率が高い」など。

そういった事実があるにせよ、二次的三次的に取り上げられているうちに、いつの間にか、もともとの資料が意味していたものが無視され、改竄されてしまっているのではないかという疑問が今回のテーマだ。

かつて身売りされて娼婦になった女たちが多かった時代で言えば、この仕事に幸せを見いだすことは難しかったかもしれない。貧しい実家に帰るよりは、金のある男に身請けされることの方がマシと考えることはあったとしても。

身売りじゃなくても、家のため、貧困のために売春をした時代には、日々、泣きながら仕事をしていたのがいたろう。ただし、売買春否定側が強調する娼婦の悲惨話だけを見て判断すると、全体が見えなくなる可能性がある。とくに街娼の現実はすでに見えなくなっている人たちが多いのが実情だ。

 

 

当時、春を売るようになった動機はといえば、一位が『家族の貧困のため』、四位に『戦災のための生活苦』と、まさに食べるために、男を食う、そんな哀しい時代であった。

 

 

先日、上野のことを調べている過程で読んだ猪野健治編『東京闇市興亡史』(一九七八年・草風社)に収録された原正壽著「上野・アメ横」の一文である。これ自体、間違っているとまでは言えない。そういう時代であったのだ。しかし、ここで切り捨てている事実がある。動機の二位と三位である。

 

 

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