松沢呉一のビバノン・ライフ

子どもは行ってはいけない旭町—千駄ヶ谷を歩く(中)-[ビバノン循環湯 361] (松沢呉一) -3,831文字-

東京オリンピックで消えた連れ込み旅館の街—千駄ヶ谷を歩く(上)」の続きです。

 

 

 

売春街・旭町

 

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舟木一夫が千駄ヶ谷の連れ込み宿で自殺未遂を起こしたのはこの街の位置づけをよく語っているエピソードかと思う。

昭和三十年代には、新大久保方面も変貌を遂げつつあった。売防法制定によって遊び場の重心は歌舞伎町に移動し、ファミリーユースの街として作られた歌舞伎町は歓楽街の色を強める。キャバレー等で働く女たちが住み出して百人町は文化アパート群が立ち並び、客と彼女らが利用する連れ込み宿も乱立する。

新宿からならそちらの方が便利なはずだが、千駄ヶ谷は人目につきにくく、かつ比較的値段が高い旅館が多かったため、小金のある人たちはタクシーを飛ばしてここにやってきた。車でなら、渋谷、赤坂、青山方面からもほど近い。おそらく舟木一夫もそれまで幾度かこの街を利用していたのだろう。

しかし、オリンピックを契機に、人知れず行く場所だったこの周辺は開発される。それ以降も行き残った連れ込み旅館も、歌舞伎町や渋谷に鉄筋のラブホテルが立ち始めるとともに、千駄ヶ谷の連れ込み宿は役目を終えたというところか。

私は改めて私の勘違いをおばあちゃんに確認した。

「ということは、旭町のドヤ街とは全然関係がないんですね」

「旭町は反対側(この場所から見て千駄ヶ谷の連れ込み宿街と反対側という意味)。高島屋の前から、新宿高校のところまで。今、なんとかって旅行会社があるでしょ」

「角にJTBのビルがありますね」

「その裏側が旭町ですよ。旭町なんてよく知ってますね。何年ぶりに聞いたかしら。もう忘れかけてましたよ」

「それも昔の雑誌によく出てます」

「今この辺に住んでいる人たちは、みんなあとから入ってきた人たちだから、旭町なんて言っても誰も知りませんよ」

昭和二七年に新宿四丁目と地名変更されており、以降もしばらくは旭町と呼ばれていたのだが、今は地元でさえも忘れられつつある地名なのである。

「私は明治通りの反対側で生まれて、ずっとこの街に住んでいるんですよ」

ここは明治通りの東側、生まれたのは西側ということだ。

「子どもの頃は旭町は絶対に入っちゃいけないって言われていたんですよ」

「ドヤ街だったんですよね」

戦前は林芙美子が放浪の過程で住んでいた場所として知られる場所である。

「ドヤ街というか、赤線だったんですよ。女の人が“おにいさん、おにいさん、遊んでいってよ”って手を振るところ」

赤線ではないところを赤線と呼ぶのはよくあること。一般の人にとっては、何が赤線で、何が青線かの区別はなく、売春するところはすべて赤線。戦前も、遊廓ではない私娼窟を遊廓と呼ぶことがあったのと同じだ。

それにしても、「ドヤではなく赤線」と地元の人たちが認識していたのは驚きだった。売春もなされていたドヤ街だと私は思っていた。事実、そうなのだが、売春は付録かと思っていたのである。

戦後の十年以上、この街をもっとも利用していたのは売春婦とポン引きと客だったのかもしれない。また、売防法によって、二丁目の赤線が崩壊して以降も、こちらでは売春稼業がなお続けられていたようである。

※上はGoogleストリートビューより新宿四丁目のビジネスホテル街入口。下は私の好きな風景で、安宿と墓場に挟まれ、遠くにドコモタワーが見える。

 

 

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