松沢呉一のビバノン・ライフ

全国接客女子従業員組合連盟の調査が語ること—売防法をめぐる消された歴史[2]-[ビバノン循環湯 364] (松沢呉一) -4,669文字-

娼婦たちの動機—売防法をめぐる消された歴史[1]」の続きです。

 

 

 

女たちは安売りをしていたのではない

 

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街娼たちは既婚の率が高く、そのことがまた当時は衝撃をもって語られた。雪吹周著『売春婦の性生活』によると、街娼の43.2パーセントが既婚者である(離婚や死別を含む)。夫が戦争中に戦死、病死した、行方不明になった、といった理由により子どもを養わなければならなくなった、夫の働き口がなくて街角に立った女たちが少なからずいたのは事実。当然、既婚者は生活苦が動機になる率が高い。しかし、離婚や死別によって開放されたとの側面も見逃すべきではない。

では、ここで、あえて未婚者の洋パンのみを取り出して、街娼になった動機を見てみよう。「生活苦」が26.3パーセント、「好奇心」が23.3パーセント、「誘惑」が18.2パーセント。「好奇心」だけでも、四分の一近くになり、これに「誘惑」を加えると、さらに数字が上がって、四割を越えるのである。このことは街娼という業態の特性をよく見せてくれている。

しかも、この数字は病院における調査なのだから、少しはしおらしくして同情されようとする者もいて当然であり、最小に見積もってもこの数字ってことなのだ。

この数字がいつのものか正確にはわからないが、雪吹周は「終戦直後においては、ただ享楽的な気持ちから、あえてこの世界に生活しているものも相当数見受けられたのであるが、最近では主に経済上の原因によるものが多い」として、この数字を挙げているところから、これ以前は、もっと積極的な動機で売春をした者が多かったことがわかる。

どうしたって、この時代の印象から、また、売買春をネガティブにとらえてしまう発想から、こういった数字はなかったことにされてしまうのだが、「哀しい時代」においても、この仕事を積極的に選び取っていた女たちが少なくなかったのだ。

以下は熊谷秀一著『札幌遊里史考』(麗山荘/自費出版の本で、発行年の記載がないが、一九七五年、あるいはその翌年の発行と思われる)からの引用。

 

 

敗戦というものの中で残念でならないものの一つにこんな事がある。大和撫子といわれ「女大学」的教育を受けた日本婦女子の中にも「煙草一個」で何する者、「チョコレート五個」で何する者がいたことである。いくら物資が欠乏していた時代とはいえ、ラッキーストライク、キャメル、モリス、という煙草が珍しいとはいえ、筆者は余りにも真のない大和撫子にはあきれざるを得ない思いで一杯であった。

 

 

 

この本の著者は水商売関係者で、ホステスたちへの視線は温かいのだが、売春になると、時折、蔑視が露になる。あるいは同情できる対象には温かいとも言え、ここに出てくる洋パンは彼にとって同情の対象ではない。

しかし、よく考えて見て欲しい。ここではたかが煙草欲しさ、チョコレート欲しさにセックスをしたのではなく、代価を求めずにセックスをしたと言った方がよい。金が欲しければ、赤線でも青線でも街娼でも、日本人相手に売春をして、しっかり金を取ればいいだけである。

豊かになった今の日本では、厚木や横須賀の米軍基地に女たちが群がり、ここでは女が米兵に金を渡すことだってある。金のなかった時代にはそうすることができなかっただけのことで、煙草一個でセックスするパンパンを赤線女給に重ねるのでなく、今の日本では基地にやってくる女たちに重ねるのが正しい。

この時代を知っている人でさえ、パンパンたちは生活苦のためにやっているとの思い込みから逃れられず、その思い込みからすると、たかが煙草一個でセックスするほど安売りをするというようにしか見えない。女たちが望んで米兵たちとセックスをすることなど想像もできなかったのだろう。

彼女たちは安売りをしていたのではない。彼女たちはセックスの快楽、優越感、桎梏からの脱出など、多大なものを手に入れていた。男たちが手に入れることもできなかったものを彼女たちは手に入れていたのであり、「安売り」でしか女たちを見られない男たちよりずっと女たちは溌剌としていたのである。

※上は元吉原病院・現台東病院、下はススキノ。ちなみに札幌の遊廓、赤線があったのは白石で、ススキノは青線「屋台団地」があった場所。いずれもGoogleストリートビューより。

 

 

高橋鐵の薄さと雪吹周のリアリティ

 

vivanon_sentence雪吹周はこんな発言もしている。

 

 

こんな風なことを言った(吉原の)業者がありました。/いろいろな事情で身を吉原へ落としまして、最初の一年間は非常に客を好き嫌いするんだそうです。それでなかなか客を取らぬ。それが、一年過ぎますと、モリモリと働きだすというのですね。そのときはちょうど、まあ、何んといいますか、性的興奮の起るときです。/それに飽きが来ますと、また客を選り好みするようになる−−という風なことを言ってました。/女にはやはり−−男もそうかも知れませんが−−そういう風な働く時期があるのだと思いますね。そういう風な時期の(略)パンスケをつかまえて、「パンパン・ガールを廃めろ」といっても無理じゃないかと思いますね。充分生活できるだけの給与をやるから廃めよ、といっても廃めない時期があるんじゃないか。

 

 

これは、雑誌「人間探究」6号(一九五〇年/昭和二五年・一一月発行)に掲載された「売笑生活の実態分析」の第一部「吉原病院院長に聴く」の中の発言。一方、聞き手の高橋鐵はこんなことを言う。

 

 

そういう売春(街娼のこと)に走る人にはやはりそういう素質がある−−という風に見ているのです。自己虐待的な、いわゆるマゾヒスト、自分のからだを穢してみたいという無意識の点ですね。それからまたあるいは逆に男から精液なり、金なりを搾ってみたいというふうなサディズム的なものとか。

 

 

時代からしてやむを得ないところがあるにせよ、高橋鐵が書いたものを現在読むと、滑稽なほどにフロイト派の心理学を信奉し、しばしば浅薄な解釈をしては悦に入っているところがあって鼻につく。私が性をテーマにするきっかけとなった人物であり、学んだ点は多く、今も時代の資料として高橋鐵の業績を使用することが頻繁にあるのだが、どうも高橋鐵という人物、反権威的な言辞を弄しつつも、その実、権威主義でハッタリめたいところがあって、今では好意を抱けなくなっている。

とりわけこの人の薄さが露呈するのが売春という領域だ。

 

 

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