松沢呉一のビバノン・ライフ

血も涙もない女代議士と闘う赤線従業婦たち—売防法をめぐる消された歴史[3]-[ビバノン循環湯 365] (松沢呉一) -4,973文字-

全国接客女子従業員組合連盟の調査が語ること—売防法をめぐる消された歴史[2]」の続きです。

 

 

 

血と涙と愛情のない、無慈悲な女議員と闘います

 

vivanon_sentence

全国接客女子従業員組合連盟は調査結果をもって、風紀衛生対策特別委員会に陳情するのだが、これも何ひとつ効果はなく、売防法は制定され、実施され、赤線は解体し、ある者は運よく別の仕事を見いだし、ある者は貯金で食いつなぎ、ある者は街娼となり、ある者は暴力団の支配下に入って売春を続け、ある者は自殺した(自殺者が出たのは売防法施行の前だったと記憶するが)。

売防法制定に時代が進む中、これらの推進派を批判するメディアは少なかったのだが、さすがの横暴さに、売買春を否定する立場でありながら、彼ら推進派を批判する者もいた。

 

 

凡そ経済と教育を列外にして、法律一辺倒だけで「売春婦の発生」を喰い止め、又は現在の売春婦を「禁絶」するなどは、木に拠って魚を求むるより更に困難な出来事である。(略)叱るだけで保護はなかった、憎しむだけで愛情の言葉は使わなかった。濁った空気中に新鮮さがないように、頽廃の環境に在って貞操もへちまもあるものではなかった。そして一番欠けていたのは政治家と、婦人団体の愛の善導であった。(略)近来婦人議員や一部婦人層は売春防止法で同性の女達を抹殺したり、より不幸な地下の地獄の谷に突き落とそうとすることにのみ熱心であって、売春婦の発生する対策も論じてもいないことは、その知能をさえ疑いたくなる。

 

 

これは中村三郎著『日本売春社会史』(一九五九年・昭和三四年/青蛙房)からの引用。

著者は売買春について[「善し悪し」は論ずるも愚かな論争であって悪いに決まっている]と序論で断じているように、売買春そのものを肯定する立場にはない。久布白落実、神近市子らが売春をなくすべく立ち上がったところまでは評価しながら、法規制で売春を廃絶できると信じ、婦人議員、婦人団体が、実態をろくに調べもせず(形だけ調べたりはしている)、感情と道徳のみに基づく性急さで売春防止法を推し進め、女たちを「より不幸な地下の地獄の谷」に突き落したことを激烈に批判している。

この本では、赤線で働く女たちの生の声も紹介している。

以下は赤線のひとつ東京・洲崎の市川しのぶによる「私は女代議士と闘う」と題した一文。

 

 

子供を残して夫が病死した後に残ったものは医療費と家賃の借金だけでした。私は葬儀の翌日職業安定所に願出て、七夜も終わらぬ五日目からニコヨンに出ました。雨が降るとおかず代もなく、恥ずかしいが朝食を終わらせた後親切な隣家に子供を預け、お釜ぐるみ質入れして電車賃と昼のパン代を借りたこともありました。しかし結局は重労働に堪えかねて、闇物資を営業しましたが、これは警察の御厄介になりこりごりしました。次の米の買出しは順調でしたがこれも結局は二斗からの米を、列車に棄てた日を最後に止め、親子心中の寸前知人の紹介で洲崎の特飲店に勤めるようになって、始めて親子が人間らしい生活をするようになりました。三カ年で百万程の貯金の出来た私はもう一呼吸(ルビ:ひといき)というところです。

その私にとってはただ一つ残された生きる命の場所を、今度は人もあろうに女代議士が私を又もや追出そうとしているのだ、と聞かされて呆然としました。同性の女代議士や婦人団体までが私達の味方ではなく、私達の敵であることを新聞やラジオで知ったとき、私は「生きる権利を有する国民」として強く生き抜く反抗心が燃え上がりました。芸妓やお妾が許されて私達だけが許されないのなら、私はたとえ前科者になろうとも、地下に潜っても生き延びてゆく考えです。

私はもう婦人議員などには欺まされず、私達が結束して、婦人議員に一票どころか、個別訪問しても、血と涙と愛情のない、無慈悲な女議員と闘います。

 

 

これが、典型的な赤線労働者の意見である。初任給で比較すると、この時代の百万円は今の一千万円以上に相当する。その貯金があるから、しばらくは食いつなぐことができようが、ふたたびニコヨンの生活が待っている。

また、貯蓄などなく、扶養家族を抱えて明日をも見失ってしまった女たちも多かったはずだ。前出の実態調査には「扶養家族がいるか」という質問もあって、79.7パーセントが「いる」と答えている。

※洲崎にある遊女や娼妓たちの碑

 

 

街娼と赤線従業婦との違い

 

vivanon_sentence続いて、雪吹周による調査と、組合による調査に大きな違いが生じたもうひとつの決定的な事情を明らかにしておかなければなるまい。雪吹周の調査は街娼を対象にして、和パンと洋パンも区別していて、組合は赤線女給を対象にしている。この両者は同じく売春をしていても、きっかけから意識まで、大きな違いがあるのだ。

中村三郎著『日本売春社会史』では、売春形態の違いによって、働く者の質が違うことをいくつもの数字で明らかにしている。

 

 

next_vivanon

(残り 3067文字/全文: 5156文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ