松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳のために女たちを切り捨てた久布白落実や神近市子—売防法をめぐる消された歴史[4](最終回)-[ビバノン循環湯 366] (松沢呉一) -3,695文字-

血も涙もない女代議士と闘う赤線従業婦たち—売防法をめぐる消された歴史[3]」の続きです。

 

 

 

性的快楽が動機になった層

 

vivanon_sentenceもちろん、性欲目的で売春を始めたと答えるのは、圧倒的少数でしかなかったが、当時は性欲目的などというのは堕落の極みであり、高橋鐵のように「性欲亢進性」「色情狂」「多淫症」「異常性欲」といった病気なのだと決めつけられるのが関の山だったため、そこに快楽があっても答えるに答えられなかったであろうことも想像できる。

中村三郎は前掲書でこう書く。

 

 

吹雪(周)氏はこの症状者(性欲亢進性)は吉原地区では九五人中二名に過ぎなかったと、調査報告をされているが、筆者が昭和二十七・八年に亘り調査した実態では、都会より地方の小都市に比較的多く、二,四三五名の中、一八九名の七・七六%を発見した。

 

 

これは「先天性」のもので、売春を職業とすることによって「男の肌に触れていないと眠られない」後天的な「変質者」が発生するとしていて、こちらは259名、10.7パーセントとのこと。そりゃあねえ、セックスは気持ちいいですからねえ。

中村三郎は、自身接した「異常性欲」の例をいくつか挙げている。

 

 

昭和二十七年六月、名古屋に現れた或る元華族の次女、昭和二十八年八月頃北海道に現れた霞夫人、少し古くはなるが昭和二十五年七月頃吉原に出陣した旧徳川将軍の三女、その一人一人が云い合わしたように、上流のお姫様のお身の上であって、なにご不自由なき生活の、揃いも揃った品位の高い美人であったにも拘らず、売春婦を自ら志願し、筆者との対談の内に次のような会話のあったことを、この定義の常識外に記してみる(松沢注:この文章の前に、売春は「相手方より対償を受ける目的で性交すること」と定義している)。

「私の病気ですもの仕方がありません、不幸な宿命でして自分で自制出来ないこの肉体が、封建的な周囲の家名を傷つけるよりは、と考えて選んだのがここです。」

徳川家の家名と宿命の好淫性のバランスを吉原に選んだ、不幸な女性を売春婦として蔑しむとしたならば、次の某華族の令嬢はどう取扱うべきであろうか。

「客から報酬は受けます、しかし私は私の肉体が異性を求むるときは、報酬どころか私の方から常に最大限のお礼を差上げて感謝の意に替えています。」

又霞夫人はいう。

「若しくは好意を受けるのです。出来ることならこちらから全部御好意に報いたいのです。」

売春の定義は容易なものではない、凡ゆる角度からの常識では割り切れない、有り得べからざる実態が、有り得る事実として社会には実在するのであるから、慎重と真相を必要とするのである。

 

 

性的自己実現のために売春をした女性らがこの時代にもいたというわけだ。

また、これとは別に旧華族の三女の例も挙げている。彼女は失恋による自暴自棄で特飲店に入った。ある客が馴染みになって親の同意も得て彼女に結婚を申し入れるが、断られてしまう。男の父は有力な会社の経営者であり、本人も大学を卒業して将来を嘱望されている人物である。著者が彼女の話を聞いたところ、男は月のうちの半分は出張するため、その間、一人寝をする自信がないというのであった。

中村三郎は「なんという悲しい、また呪わしい実話であろうか」と書くが、これが悲しく呪わしいのなら、金をとらずにセックスをしている今の時代の女たちだって、金を払ってでもセックスしたがる客たちも同じである。

このように、セックスの快楽に目覚めた女たちがその快楽を得るには、売春稼業が相応しく、それ以外に自己肯定する場などありはしなかった。つまり、生活苦などありはせずとも、社会が女たちの性欲を肯定しない限り、あるいはいろんな相手とセックスをすることを肯定しない限り、売春を選択する女たちがいる。問題はこういった女性らを病気として哀れみ、嘲ることによって、二重にパージすることしかできない社会の視線だろう。

※Googleストリートビューより名古屋・中村遊廓周辺に残る古い建物。この向こう側は古いラブホのよう。

 

 

久布白落実や神近市子は加害の側に立った

 

vivanon_sentenceここまで書いてきたような事実を無視することで、売春婦は被害者だと決めつけたがる人がいたし、今もいるわけだが、ここでの被害者は性を抑圧された女たち総体であり、加害者は、久布白落実、神近市子ら一夫一婦制の中でのセックスのみを肯定して、それ以外を排除する者たちである。自分らの考え方こそが生み出した売春婦もいるということに気づけるほど彼らは賢明でも謙虚でもなく、善意の人でもなかった。ただの道徳の守護者であった。

これら戦前の廃娼運動、戦後の売防法を推進した女たちは売春婦たちの目にどう見えたのか、再び神崎清による座談会に戻る。

 

 

(吉原に視察にきた婦人代議士が)まるで学校の一年生にものを言う態度だから、私憤慨したですよ。/その態度がまるで人を馬鹿にしたものなんですよ。

 

 

この本の別のところに登場する「ノガミのパン助」で(「ノガミ」は上野の隠語)、都議会で開かれた売春禁止条令の公聴会に呼ばれた女性は、公聴会の様子をこう語る。

 

 

神近市子さんは、私どもパン助の気持ちもわからず、頭から人を馬鹿にしたような話だったので、胸がムカムカして、どこまでも反対してやれ、という気になってきました。

 

 

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