松沢呉一のビバノン・ライフ

ドン・キホーテ創業者の言葉—カミングアウトしなくていい社会が理想のわけがない[2](松沢呉一) -3,485文字-

Not Alone Cafe 東京 × Living Together—カミングアウトしなくていい社会が理想のわけがない[1]」の続きです。

 

 

 

ドン・キホーテ創業者の結論

 

vivanon_sentence私はスーパーが好きなので、知らないスーパーを見かけると必ず立ち寄って品揃えをチェックします。チェックするのが目的なので、あんまり買物はしません。同じ系列だとだいたいどこも同じなので、視察しないこともあります。

スーパーではなく、ディスカウントショップですが、ドン・キホーテは同じドンキでも入ったことがない店舗があると必ずチェックします。ドン・キホーテの店舗は個性があって、品揃えが違ったり、値段が違ったりするのです。スーパーでもそういうことはあるのですが、その幅がドン・キホーテは大きい。店舗単位の自立性が高いのだと思います。

ドン・キホーテのことをもっと知りたくて、安田隆夫著『安売り王一代—私の「ドン・キホーテ」人生』(文春新書)を電車の中で老眼鏡をせず勘で読みました。

著者が、ドン・キホーテを開業するに至る経緯、その後の奮闘、そしてドン・キホーテから退くまでを書いたもので、私の疑問は氷解しました。ドン・キホーテは大きく二つの営業部門に分かれていて、その二つはまったく別の動きをしているらしい。近くにあっても横につながっていないことがあるのです。

さらに、各店の運営は店舗責任者に任せていて、創業者も店舗には口出しをしなかったそうです。全国同一のマニュアルで管理することをしない。その分、自分たちで考えろってことです。この姿勢が徹底していて、売り場もまた担当者判断が大きい。同じにしようにも同じにはならないようになっている。

疑問が解決しただけじゃなく、この本はいろんな意味で面白く読めました。

我が人生とクロスするところはまったくないのですが、著者の性格や行動様式については似ているところがあちこちにありました。

とくに子どもの頃。授業にすぐに退屈して窓の外ばかり見ていて成績表に「落ち着きがない」と書かれたこと、人に「やれ」と言われるとやる気がなくなること、授業は苦手でも受験勉強は強いこと、人と同じことをしたくないことなどは完全合致。そこは書いてなかったですが、たぶんこの人も小学校の時から貧乏ゆすりが激しかったと思います。

 

 

人は人のことなど分からない

 

vivanon_sentenceあっちは成功者、こっちは失敗者ですから、似て非なるものですけど、性格、行動様式だけじゃなく、考え方も近いところがあって、この本の最後の方に自分の人生を振り返って、こんなことを書いていました。

 

 

これまでの人生の中で、私は公私両面にわたって数限りない人たちと出会い、ありとあらゆる人間関係を経験してきた。少なくともその数とバリエーションの多さにおいて、決して人後に落ちるものではないだろう。そしてそんな私の行きついた結論が、「結局、人は人のことなど分からない」ということである。

神の子たるイエス・キリストですら、わずか十二人しかいない弟子の中の一人に裏切られ、磔に処せられたのだから、凡人であるわれわれが、そう簡単に人のことなど見抜けるわけがない。

にもかかわらず、仕事でもプライベートでも、多くの場合われわれは、出会った段階でその人となりを判断し、対応せざるを得ない。

「分からないのに対応せざを得ない」のであるならば、まずは「分からない」という不都合な真実を直視して自覚し、かつ将来にわたって「決して分かるようにはならない」と前向きに諦観するのが得策である。

 

 

「人の内面なんてわかるはずがない」と私も繰り返してきました。わからない中で少しはわかろうとするのが人間というもので、だから懸命に言葉を費やす。費やしてもわからないかもしれないけれど、黙っているよりはわかることがある。

 

 

ムラ体質がいまなお顔を出す

 

vivanon_sentence言葉も費やさないうちに、わかったような気がすることがあるのはすべての人が同質なムラだけです。同質の人が集まっている場を人は居心地がいいと感じます。警戒心が必要なく、自分のことは説明しなくてもわかってもらえる。対して自分のことをいちいち説明しなければわかってもらえない場所では緊張します。知らない人ばかりの場で自己紹介をする時、私は今でも緊張します。

「カミングアウトしなくてもいい社会を」なんて言っている人たちは、居心地のいいムラにい続けたいと言っている。ムラの中にゲイだったり、レズビアンだったり、バイだったり、トランスジェンダーだったりの居場所を作って欲しいと言っている。

それが楽で心地いいことは理解できますけど、そんなムラはもう存在しない。ここに至ってもなおムラの思考が顔を出してくることに唖然とします。

狭い範囲ではそういう空間はなおあるとしても、黙っていても自分のことをわかってくれる社会なんて未来永劫来ないし、今後いよいよ意思表示が必須になるってことを直視した方がいい。

同性愛者がこの社会に存在することを想像し、それを前提にする社会を目指すのだとしても、そうなるためには主張する過程が必要です。カミングアウトする人たちが必要です。なぜそうなっていない段階からカミングアウトしないことを目指すんですかね。今必要なのは「もっとカミングアウトを」「もっと意思表示を」でしょうに。

日本と比較すればはるかにそうなっているはずの国で、なぜ今もプライドパレードが日本の何十倍もの規模で行われているのかの意味を考えるべきだと思います。

 

 

next_vivanon

(残り 1777文字/全文: 4090文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ