松沢呉一のビバノン・ライフ

これからの世代に期待しましょう—私立の女子大は消滅へ(下)-(松沢呉一)-2,830文字-

桜蔭高校とフェリス女学院高校に見る女子大の凋落—私立の女子大は消滅へ(中)」の続きです。

 

 

 

男女雇用機会均等法とバブル崩壊

 

vivanon_sentence1980年代でも、マスコミ関係は比較的男女を等しく雇用していたところが多かったと思いますが、仕事内容については違いがありました。

たとえばレコード会社のディレクターは男ばっかり。直接接点のある範囲では100パーセント男でした。女の社員は宣伝部です。ディレクターは徹夜のレコーディングが頻繁にあって、当時は労基法の定めで女子の深夜労働は禁じられていたことと関係しているのだと思いますし、そうじゃなくてもスタジオのソファーで仮眠をとるような仕事はさせられないという考えがあったのでしょう。

でも、深夜労働があるのに、なんで編集者は女でも大丈夫だったんだろ。女の編集者は早めに帰らせるといった配慮はあったとは思いますけど、それにも限界があります。

また、他業種では、80年代半ばでもなお「うちの会社は女子社員を嫁さん候補として雇っている」という話をその会社の社員から聞いたことがあります。たしか広告代理店だったと思います。

しかし、そんなことを言えていたのはこの時期が最後です。1986年に雇用機会均等法が施行されます。

あくまで私の記憶ですけど、この法律で劇的に変化したのではなくて、ここから徐々に変化していき、はっきりと変化するのはバブル崩壊だったように思います。1991年。この翌年から就職状況が顕著に悪化して、就職氷河期に突入し、採用基準が大きく変化します。

今までのように企業は腰掛けの女子を採用する余裕はなくなります。その結果、とりわけ女子の就職状況が悪化します。この内実は、採用人数を減らして「確実に使える人材の確保」という企業の切実な事情の反映だったと思えます。短大、女子大卒の「花嫁枠」が消滅したわけです。

人材はいるので、今までは採用できなかった層が採用できるようになっていく。先日取り上げた安田隆夫著『安売り王一代—私の「ドン・キホーテ」人生』でもそのような話が書かれていました。今までだったら集まらなかった有名大学の卒業者が集められるようになったと。だからと言って優秀だったわけでもないことも書かれていましたが。

※Googleストリートビューよりお茶の水大学

 

 

バブル崩壊が女子大の価値を劇的に変えた

 

vivanon_sentenceこの頃までは男女を別枠で採用することが実質的にはなされていました。高卒枠があって、そこは女子採用枠になっていたのが、大卒一本の採用になっていく。同じく短大採用よりも四大採用になり、嫁さん候補だったら文学部でもいいとして、即戦力を考えると、文学部を企業は避ける。

そこまで単純ではないにせよ、偏差値の高い大学の社会科学系の学部から順番に採用していくと男ばかりになってしまいます。一般の企業において、同程度のレベルの大学の文学部学生と経済学部学生と、個人の評価が同程度であった時に、どっちを採用するかと言えば後者になってしまいましょう。今の比ではなく、専攻には男女の格差があったわけですから、女子は不利です。

この時に「男女等しく採用する」のではなく、「少ない人数を採用するのなら、女よりも男」といったように潜在的な男女の雇用格差が露になった可能性もありますが、男女等しい条件で採用するようになったが故に、それまでの花嫁候補枠を目指して大学や学部を選択していた層が急速にいらなくなったとの事情もありそうです。

同じ大学の同じ学部なのに、男女差が出た部分については「男女差別である」と言えるとして(それもあったのだろうと思います)、トータルの男女差がそのまま「男女差別」の数字にはならない。

 

 

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