松沢呉一のビバノン・ライフ

パターナリズムが可能性を潰す—男女別学肯定論を検討する(1)-(松沢呉一) -3,253文字-

これからの世代に期待しましょう—私立の女子大は消滅へ(下)」からゆるく続いてます。

 

 

 

私の疑問

 

vivanon_sentenceこのところずっと気になっていたことがあります。

海外の数字です。クオータ制を導入して無理矢理議員の男女率を近づけたり、成績が悪いのに下駄をはかせて試験に合格させたりしない限り、どこの国でも政治家も医者も弁護士も女性率は男性率より低い。

日本はとくに低くて、国会議員における女性率は9.3パーセントで世界163位(IPUによる2017年の順位)です。政治家に向いていないタレントで底上げしてもこの数字。

しかし、米国も20パーセントを切ってますし、イギリス、中国、フランス、カナダは20パーセント台。オーストラリア、オーストリア、ニュージーランドは30パーセントをギリギリ超えるくらい。ドイツ、オランダ、デンマーク、ノルウェーでも30パーセント台です。この中にはノルウェーのようにクオータ制を導入している国もあります。それでもその数字。

 

 

 

IPUのサイトより。順位は右の表。左は大臣における女性率の順位

 

 

先進国で高いのはアイスランドの47.6パーセント(世界4位)、スウェーデンの43.6パーセント(世界6位)で、両国ともその内容は違えどもクオータ制を導入しています。そんなことやってっから、スウェーデン議会はおかしくなってんじゃないかと思わないではない。

それでもこの数字に達したら、クオータ制を廃止すればよさそうなものですが、なかなかそうはならない。クオータ制を廃止したら、落選する可能性が出てきてしまう女性議員たちがクオータ制に固執するからです。一度できた制度はその制度で利益を得た人たちが手放さない。権力の座にしがみつくのは男女とも同じです。だからこういう制度は慎重であるべきなのです。実際にクオータ制を廃止したら、数字が目に見えて落ちる国が多いのだと思います。

「女は生来的に政治に向いてないのだから、下駄を履かせても同数に近づければいいのだ」という考えを持たない私としては、どうして下駄を履かせない限り、数値がどこの国も伸び悩んでいるのかが気になります。

 

 

張り巡らされたパターナリズムと家族主義

 

vivanon_sentence各国で言われていることをざっくりまとめれば、今なお女子に対する社会的な規範が強いってことです。ここでの規範は明文化されているわけではなくて、それこそ道徳のようなものから、個々人の内面にあるような思い込みまでを指します。この「社会」を直接体現するのは家族であったり、学校であったり、メディアであったり、友だちであったり。

日本でも、医療の道に進みたいと考えている女子生徒がいた時に、医者になれる能力や適性があっても、親や教師は深く考えることなく看護学校や福祉系の学校を勧めてしまう。

 

 

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