松沢呉一のビバノン・ライフ

鴎友学園が偏差値38から脱した理由—男女別学肯定論を検討する(2)-(松沢呉一) -2,929文字-

パターナリズムが可能性を潰す—男女別学肯定論を検討する(1)」の続きです。

 

 

 

意思を貫く桜蔭高校の生徒たち

 

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家庭内の規範が大きいので、個人にかかる抑圧を男女等しくするためには一世代でも足りず、二世代三世代かかるのだろうと思っていたのですが、中高一貫教育の女子校のうち偏差値の高い受験校はこれをすでに克服しているようにも見えます。「医者になりたい」「弁護士になりたい」という意思を貫いていることが数字に出ています。

学校全体がそうなっているために、そう思わされているに過ぎず、「私」の意思ではないとの見方もあるかもしれないけど、桜蔭高校から東京芸大に進むのが数名います。彼女たちは自分の特性を踏まえて自分を貫いています。その結果が医学部であったり、法学部であったり、芸大だったりする。フェリスでもその傾向が見てとれます。

面白いなあ。偏差値を追及した結果、社会が押しつける「女は〜」という規範を克服している。

そのために、女子大が無用の長物になってきています。大半の女子は桜蔭やフェリスにそもそも入れないですけど、全体がああなればいい。「私」を主語にして意思表示をし、その意思を貫けばいい。

長らく偏差値の高い高校、東大合格者の多い高校と言えば男子高の名だけが上げられていたわけですが、昨今は桜蔭高校を筆頭に女子高の名前が上げられることも増えています。

中高一貫の女子校が伸び、女子大が凋落というこの現象は一見矛盾しているようにも思えますが、桜蔭高校の進路を見た時には納得できます。

偏差値という男女の区別がなく判断される基準を追及する女子校の生徒たちは能力を伸ばす。能力が伸びると選択肢が増えて女子大に行く意味がなくなる。あるいは偏差値で自信をつけて「私」を主語にして意思表示ができるようになる。「私は医者になる」「私は弁護士になる」という自身の意思を貫けるようになる。

女という属性に依存をしない方向を目指す教育と、女という属性に依存をする女子大教育とのズレが露になってきたのだと言えます。

だから、その受け皿になる梨花大のような総合大学としての女子大を作っておけばよかったのに、時すでに遅し。

※Googleストリートビューより学習院女子大。途中までストリートビューで入れます。きれいなキャンパスです。ここもヘビおるで。

 

 

女子大がなくなっても心配は無用

 

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かくなる上はこのまま女子大は消滅していただいて、女学校から一世紀以上にわたって続いてきた「嫁入り学校」の伝統に終止符を打つことで、「女らしい学問」なんて存在意義がなくなったのだと社会にメッセージを発して欲しい。立教短大や青短はその役割を果たしました。できれば京都女子大の法学部は残って欲しいですけどね。新しい試みをやったことへの敬意として。

女子大が消えても大丈夫です。むしろ女子大が消滅する時に女性議員率は上昇するはずです。桜蔭高校、フェリス、豊島岡、吉祥女子、鴎友学園等、「偏差値高い系女子高」が政治、経済、法律といった学部に次々人材を送り込んでいますから、その中から政治家志望は確実に出ますし、政治家になる上で有利な経歴を作れて、有利な蓄積もできます。

そうなった時に、日本の国会、日本の政治ががどうなるかまでは知りません。ともあれ女性議員率の低さを嘆き、それを上げることがいいことであると考える人たちが多いようなので、それに基づいてどうすべきであるのかをつらつら調べ、考えてきた私としては、「偏差値が高い女子校の進路を見て安心しろ。焦ってクオータ制を導入する必要はない」と言っているだけであり、それ以上のことは知りません。政治家に向かない人材を政治家に仕立てるよりはましとまでは言えますが。

この国でクオータ制に食いつくのは奮闘してもどうにもならなかった世代の人たち、社会を変革するだけの実力が伴っていなかった世代の人たちの発想であって、社会を変革する力を秘めている世代が出てきていると思います。時間はかかります。しかし、着実に変化しているのだから、見守りましょう。

見守るだけでよくて、「女を特別扱いにして下駄をはかせろ」と主張するのはパターナリズムです。

偏差値という基準がこの社会においては絶対的なものになっていて、そこに乗らないと自分を貫くことができないことをも示唆しているのかもしれないですけど、現にそれができることを示している点は肯定的に見ていくべきだろうと思います。

では、そういう女子校がどうやって社会の思い込みやパターナリズムから生徒を救出しているのかを見ていきましょう。

※鴎友学園は1935年、東京府立第一高等女学校(現:東京都立白鷗高等学校)の校長だった市川源三を校長に迎えて創立。著書が国会図書館で公開されているので、読んでみっかな。

 

 

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