松沢呉一のビバノン・ライフ

「江戸しぐさ」を推奨する別学は無効—男女別学肯定論を検討する(4)(最終回)-(松沢呉一) -2,732文字-

脳の性差を過剰に見積もることの危険—男女別学肯定論を検討する(3)」の続きです。

 

 

 

 

「江戸しぐさ」を教育に取り入れた学校を推奨する本

 

vivanon_sentence「女は理数系に弱い」「女は政治に無関心」「女は論理性が乏しい」「女は自己主張ができない」といった社会の、そして自身の思い込みの部分をぬぐい去ることが女子校の役割だろうと思います。

男女差はただの思い込みではなく、大学進学の際の選択にも出てしまっていたし、今もなお続いているわけですが、桜蔭高校の生徒たちは社会の思い込みを払拭できています。そのすべてとは言えないまでも、男女差は修正することが可能であることは疑えません。

ところが、男女の差を脳の性差で説明する中井俊巳著『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』ではこんなことが書かれています。

 

 

この学校では、初代校長・新渡戸が重んじていた「心の教育」を積極的に行っています。中でも、近年話題になっている「江戸しぐさ」をマナーや生活指導に取り入れているのが特徴です。「江戸しぐさ」とは、「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」「肩引き」「うかつあやまり」など、現代にも適用できる、他者を思いやる、江戸時代からある礼儀や社会マナーです。

同校の長本裕子校長はおっしゃいます。

「心身ともに美しい女性になるためには、相手への思いやりや感謝の気持ちを持つことに加え、品の良い立ち振る舞いの習得も必要です」

この学校を訪問した時、生徒さんが笑顔で気持ちよく挨拶してくださったのが、とても印象的でした。新渡戸が説いた品格のある日本人のあり方をこの学校は静かにまっすぐ受け継いでいるようです。

 

 

これは東京・中野にある新渡戸文化中学・高校を紹介したものです。「人間性を育てる女子の教育」という見出しが出ており、そこまでの流れからも、女子校だと思ってしまう読者が多いでしょう。私もそう思ったのですが、検索したら共学校でした

「品格ある日本人のあり方を受け継ぐのは男女共学の方がいい」、少なくとも「共学で受け継ぐことが可能」と主張するのに適切な例をここに入れ込む意味がわかりません。どうしても、「江戸しぐさ」を肯定的に取り上げたかったのだとしか思えないのです。

歴史的根拠がまったくない与太でしかない「江戸しぐさ」を肯定的に取り上げている時点でこの学校もこの本も信頼できないことは確定。

東京の銭湯の組合が「江戸しぐさ」をポスターに使ったのはシャレで済むかもしれないけれど、学校で教えるのはまずい。事実ではないのですから。

誰もが江戸に詳しいわけではない以上、立派な教育者でも、こういう与太を鵜呑みにすることもありましょうよ。仮にそこはやむを得なかったとしても、教えてしまったことにつき、長本校長は謝罪するなり、訂正するなりがあってしかるべきですが、検索した範囲では見つかりませんでした(なお、すでに校長は交替しています)。

一度食いついた人たちは保身に走って謝罪、訂正をしない法則」がここでも見られそうです。江戸時代から伝わる日本の伝統的作法です。

与太を教えて「心身ともに美しい女性になるためには、相手への思いやりや感謝の気持ちを持つことに加え、品の良い立ち振る舞いの習得も必要です」なんて教育をする学校をヨイショしてしまうのは、脳の性差を限界なく拡大してしまった著者の間違いをよく示しています。

※上のSSは「新渡戸文化アフタースクール」で子どもらにウソを教える長本裕子校長

 

 

教育者にリテラシー教育を

 

vivanon_sentenceそこを見誤ると、改善可能なことが改善できなくなり、結局、戦前の女学校教育になってしまったり、現状の女子大を肯定することになりかねない危惧を感じます。実際、こういう教育者たちが女学校時代からさして変わらない女子教育を温存してきたのではないか。

 

 

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