松沢呉一のビバノン・ライフ

報道が激化した事情—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(4)-(松沢呉一)-4,013文字-

ねこいらず(殺鼠剤)で絶命—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(3)」の続きです。

 

 

 

 

浜田栄子の死はなぜ大きな話題になったのか

 

vivanon_sentenceここまでが浜田栄子の生涯。表層を見れば「親に結婚を許してもらえず、絶望と抗議のために死を選んだ」ということなのだから、この時代にはありふれているとも言える。にもかかわらず、浜田栄子の死が大きな話題になったのは、彼女の環境と、それ以降の経緯である。

今もそうだろうが、金を持った人々の醜い姿、転落する姿を見るのが大衆は大好き。私も好き。しかも、この場合、絵に描いたような役者揃い。

父・玄達は著名な医者であり、百万円もの財産を築いた人物だ。その周辺の人々も当時の医学会を代表する権威である。しかし、母・捨子は金の亡者でヒステリー。兄の捷彦は放蕩で慶応大学を退学処分となり、芸者を落籍して米国に留学。成績優秀で美しい栄子は相場師と恋に落ちて自殺(美人に見える写真とともにそうでもない写真とがあるのだが)。浜田家を乗っ取った弁護士は元代議士でもあり、栄子をいびる鬼のようなおとみもいる。

金額もいちいち大きい。捷彦が音子を落籍した時の金は千五百円だったよう。今で言えば二千万円から四千万円相当である。

音子は前借はなかったのではないかとも思え(娼妓と違って、芸妓はそれもあり得た)、そのわりに高いが、落籍金は借金の返済だけでなく、いわば御祝儀金でもあり、落籍される側の人気に応じて高くなり、落籍する側の経済事情にも応じて高くなる。音子は人気のある芸妓であり、かつ財産のある捷彦という事情から考えて、高くなるのは当然であり、安値では浜田家のメンツにも関わる。

また、音子の父には毎月五十円の扶助金が支払われる約束が交わされている。大卒初任給程度の金額であり、決して安くはないが、それでも足りないと言い出して、幾度か値上がりして、やがては百二十円も払うようになっていく。給料が安かった時代だから、相当な高給取りの月給に相当する。会社で言えば部長クラスか。自分がそこまで育てたのならともかく、育てたのは半分は置屋だから図々しいが、芸妓や娼妓の親というのはしばしばこういうものだ。

さらに米国に行った捷彦と音子には約束通り毎月七百円が送金された。

しつこいが、高井としをが細井和喜蔵の死後手にした印税は計二千円である。音子の落籍金額よりさらに高い。毎月数百円が支払われ、最大六百円。捷彦と音子への送金に近い。普通の生活をしていたら、数年間食べていけるだけの金をあっという間に散財したのである。金が消えたのは本人の責任でしかない。法的根拠のない金をこれだけ払った上で支払いを打ち切った版元を批判する人々は、それが当時どのくらい高額なものであったのかさえ調べずに「合作だ」などとデタラメを言い出したと思われる。無責任な怠け者たち。

※浜田栄子。椒魚生著『浜田栄子恋の哀史』より。疲れが見えます。髪型も廂ではないことから、野口と同棲して以降のものではなかろうか。なお、音子は人気があったそうなので、芸妓の写真がどこかに出ている可能性がありますが、今のところ国会図書館では発見でぎす。国会図書館はこっち方面が充実していないですから。

 

 

新聞紙上で連日展開されるバトル

 

vivanon_sentence舞台装置も役者も整っていた上に、その後の展開が面白過ぎた。

栄子が亡くなったのは大正十年(1921)六月十七日。同月二十一日からこの件が報道されるのだが、これをリークしたのは尾越弁護士側である。この件は野口が金目当てに栄子をそそのかしたのが原因であるとし、尾越弁護士とともに浜田家の相談役であった佐伯理一郎松浦有志太郎、捨子の義兄である藤井敬慎が新聞紙上で野口のみならず、栄子を貶める発言をする。

佐伯と松浦は京都の医師、藤井は熊本在住の県議会議員であり、そもそも正確な事情を知るはずがなく、尾越弁護士から聞いた話の受け売りを語るだけなのだが、それぞれ権威があり、関係性もあるだけに効力はあったろう。

彼らは善後策を練るとともに、野口と栄子を貶めるために尾越の依頼でわざわざ上京して取材を受けたのだと推測できる。

この時語られたのが栄子は早熟で十三歳で野口と関係をもったという話、野口は相場師のような卑しい仕事をしており、金がなくて栄子は同じ汚れた着物を着続けていたという話、野口が一族に疎んじられていたのは野口が金や通帳を盗んだためだという話、栄子は死ぬ気がなく、狂言自殺をして誤って死んだという話などなどであった。

野口は腹に据えかねるものがあったと見えて、翌日の新聞で反論を開始し、六月二三日付で、尾越弁護士に公開討論を呼び掛けた。

 

公開状

栄子の死に関し貴殿の談話は捏造甚敷ものにつき公平なる社会の批判を仰がん為、都下各新聞記者立合の上、来る二十四日午後六時上野公園山下三橋亭に於て対決致し度候に付き、御出相成度く此段御通知申上候也

六月二十三日

野口亮

 

 

 

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