松沢呉一のビバノン・ライフ

歴史教育に見るフィンランド方式—男女別学肯定論を検討する/第二部(4)(松沢呉一) -3,222文字-

フィンランド方式は日本では無理—男女別学肯定論を検討する/第二部(3)」の続きです。

 

 

 

素晴らしい歴史の授業

 

vivanon_sentence堀内都喜子著『フィンランド豊かさのメソッド』を読んで、とくに、私が感心したのは以下です。

 

 

歴史の教師を目指し教職を勉強中のトゥーリは、ある日、「ちょっと聞いて」と言って、新聞記事のようなものを読んでくれた。その記事は十八世紀に起きた殺人事件についての報道で、簡単にいえばある場所で殺された女性の遺体が見つかったというものだ。この事件、別に誰もが知っている有名なもの、というわけではなく、本当にあった話なのか、フィクションなのかよくわからない。実はこれは現役の歴史の教師が作った授業の教材だという。この記事を高校生に読ませ、それぞれが事件の背景をもっとわく知るために興味のあるトピックスについて調べさせる、というのがこの教材の目的らしい。例えばこの事件から、当時の法律について調べるのもいいし、警察や職業制度について調べるのもいい。もちろん、時代背景、人々の生活、女性の権利なんてことも考えられる。

 

 

いいですねえ。私は授業というもの自体が苦手なのですが、この授業だったら耐えられそうです。相当に面倒なので、どの学校でもやっているとは思えないですが、フィンランドらしい教育として教えてくれたのでありましょう。

日本であれば、この時の為政者の名前を記憶して、その時にあった戦争や政争について覚えればいい。それ以上のことは知るだけ無駄。試験に出ないし、受験でも役に立たない。と思い込むと間違いそうで、日本でも、私立の高校でこういうことをやっている学校はあるかもしれないですけど、極々少ないと思われます。

 

 

アプローチは無数にある

 

vivanon_sentence前に書いたように、女子は歴史が苦手なのが多く、その理由は生活周りの歴史がないがしろにされて、男が作ってきた政治史が中心になっており、女が登場することが少ないためとされます。それはそれで無視できない歴史ですから、やむを得ないところもあるのですけど、そういう話は私だってそんなに興味がかき立てられない。

しかし、この方法であれば生活史に踏み込んでいくアプローチも可能になります。それこそ女性研究者も活躍する余地が多い民俗学的アプローチがその筆頭です。殺されたのは男ではなく、女というところに、その配慮がありそうです。

殺された女がどんな服装をしていて、どんな髪型だったのかを推測する。脇毛を生やしていたかどうかを調べる。それは私特有のアプローチか(「アートにおける脇毛表現史」で確認したように、19世紀に入る頃にはヨーロッパでは脇毛を剃り出す人たちがいた可能性が高いのですが、18世紀だと相当に微妙。たぶんこの設定は産業革命の前後で大きく時代が変化することを前提として調べることを求めているのでしょうけど、脇毛的にもいい設定だな。脇毛的には18世紀のいつの事件なのかまで知る必要があるのと同時に、彼女はどんな服を着ていたのかにもよります。服飾史を調べる生徒との共同作業が期待されます)。

「地理は好きだけど、歴史は苦手」という生徒だって、当時の地図を読み込むことで彼女が属していた階層までが見えてくるかもしれない。殺された場所から仕事が類推できるかもしれない。私だったら、街娼だったのではないかと目星をつけて、当時の街娼の地域分布を調べ、どう規制されていたのかも調べます。日付までわかれば天候だって調べられるかもしれない。

そもそもその当時に新聞は発行されていたのか、発行されていたらどんなもんだったのかといったアプローチもありましょう。本当に読み上げた文章が当時のものかどうかを言葉から調べることもできます。「この言葉はこの時代には使われてなかった」とか。

 

 

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