松沢呉一のビバノン・ライフ

浜田栄子の騒動から砂利喰ひ事件へ—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(9)-(松沢呉一)-3,501文字-

野口亮の書いていることの信憑性—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(8)」の続きです。

 

 

 

野口亮の書いていることのバイアス

 

vivanon_sentence前回見た野口や栄子の擁護者たちの言い分からして、野口が書いていること、また、その人間性は信用ができそうに思わる。ただし、あくまで野口が意図してデマを流しているのではないという意味で信用できるのであって、それが事実か否かはまた別の話。

逝ける栄子の為めにでは、よくあるように、身内で情報を増幅していった結果、噂話しか過ぎない話までを野口らが書いてしまっている印象もある。尾越弁護士の兄の件、長男の件、尾越弁護士と捨子の関係、おとみの熊本での醜聞など。

栄子が十三歳の時から野口と情交していたという尾越弁護士が流した話の元はおとみらしく、野口はこれをきっぱり否定しているが、野口もまたそれと同じようなことをしてしまっているかもしれない。

これら以外についても野口やその擁護者たちの書くことには「尾越許すまじ」のバイアスがかかっているように思える点がいくつかある。たとえば、以下。

浜田医院を買い取った小畑惟清は、栄子の遺体の解剖をしたわけでもないのに、「妊娠していなかった」との談話を出していて、栄子が捨子に迫った際のウソであったと匂わせることで尾越弁護士のサポートに回っていて、これを川島文夫が批判をしている。尾越弁護士が安く小畑に売ることで見返りを求めていて、それに小畑が加担しているというわけだ。

尾越弁護士からの依頼があって、小畑は根拠なく、そのような談話を公表した可能性もあるのだが、そもそも妊娠三ヶ月というのはおそらく自己診断である。最初の懐妊時は順天堂病院で診断を受けているが、二度目は診察を受けた話は出ておらず、生理がないことから栄子がそう判断したのだろう。しかし、栄子は身体がすぐれない状態が続いていた上に、極度のストレスに晒されていたために生理が来ていなかっただけのようにも思える。

小畑は、殺鼠剤を飲んだ栄子を、近隣の医者が処置をしたあと、東中野まで駆けつけているわけで、解剖まではしていないにしても、そう判断できたとしてもおかしくはない。

まだ妊娠三ヶ月とは言え、栄子がそんな体で談判のために浜田家に日参し、時には自殺をも匂わせていたにもかかわらず、軽く止めるに留めていたことを見ても、野口もさほど気にもしていなかったのではなかろうか。もしわかっていてなお放置していたのなら、やっぱり野口の責任は重大である。

土地の売買に関する疑惑も実際のところわからないとしか言いようがない。

 ※野口亮著『豆・小運送論』(昭和十二年)という本が国会図書館にあるのだが、戦前の本には略歴が添えられていないものが多く、本書では本文でも自身のことには一切触れられていない。それほど珍しい姓名ではないため、同一人物かどうか判定できず。この本の末尾に出ている広告によると、こちらの野口亮はこれ以外にも多数の運送業関連の本を出しているよう。国会図書館に収蔵されていないのが残念。野口亮以外の登場人物についてもあらかた国会図書館で検索したのだが、関連資料は見当たらず。

 

 

急速に忘れられた栄子の死

 

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野口亮著『逝ける栄子の為めに』(大正十年)を読んで、栄子がなぜあそこまで入籍にこだわったのかの事情がよくわかり、なおかつ尾越弁護士の悪辣さとそれに服従する捨子の問題がいよいよ明らかになった。

しかし、結局のところ、真実はわからない。それ以降のこともわからない。この騒動はどう結末がついたのか。帰国した捷彦はどうこの事態に向き合ったのか。尾越弁護士はなんらかの裁きを受けたのか。その後、野口はどうしたのか。

国会図書館には栄子の自殺について取り上げた婦人雑誌が三冊あるのだが(雑誌のため、ネット公開はされていない)、いずれも直後の発行号で、それ以降のものが見当たらない。『恋は思案の外 : 人生哀話』の著者である水島尺草は、新聞記者から婦人雑誌の記者となった人物で、浜田栄子の記事もおそらく婦人雑誌に書いたものだろうから、それら婦人雑誌の記事と大差ないと思われ、これらを読むまでもなかろう。

羽原清雅の連載「落穂拾記(5)~「藪の中」の自殺騒動~」にはこう書かれていた。

 

 

当時の東京朝日新聞を見ると、約2週間にわたって5本の雑報記事、7本の連載物が掲載された。旬刊朝日、サンデー毎日の発刊は翌1922年だから、まさに週刊誌のない時代に、社会問題化して、さまざまな関心を呼んだのだ。

 

 

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