尾越辰雄弁護士の悪巧み—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(6)-(松沢呉一)-3,967文字-
「浜田栄子と野口亮の復讐—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(5)」の続きです。
石川善盛衆議院議員が告訴を提案
前回、野口が背任横領で尾越弁護士を訴えたという話に触れたが、野口が書いた『逝ける栄子の為めに』にはこの件は出ていない。
その代わり、栄子の生前から告訴する話があったことが記述されていて、椒魚生著『浜田栄子恋の哀史』はそれを誤解したのかもしれない。なにしろ速成の本だし、話が複雑なので、間違いは避けられないだろう。
野口が書いていることによると、石川善盛という代議士が二人のもとを訪れ、「浜田病院売却について背任横領の告訴をしようではないか」と持ちかけているのだ。栄子と野口は、もともとこの人物と面識があるのか、どこかしらから聞きつけて、義憤から持ちかけたのかは書かれていない。
これに対して栄子はそれを望み、対して野口はまたまた財産目当てであると猜疑の目で見られ、栄子の黒幕は野口だと邪推されるため、また、血を血で洗うようなことを避けたかったため、これに反対をし、この時に反対をしたことを悔いてもいる。
今だって世間の人たちは、女の意思を認めたがらず、背後の男が操っているという見方をしたがる。まして百年前であり、栄子はこの時十七歳であるため、野口が「自分は目立たない方がいい」と考えたのは理解できる。
しかし、それがために栄子の死を招いたのだから、結果論とは言え、石川善盛に協力してもらって栄子が告訴していればよかったと思う。権威なき栄子と野口にはこういう権威の力添えも必要であったのだ(後述するように、他にも権威ある人たちのサポートはあったのだが)。残念ながら、
権威や箔がなけれぱ多くの人は人を信用しない。中味がなくても学歴、職歴、肩書き、資格など、権威があればあっさり信用する。昔も今も。
ここで重要なのは、石川善盛という実名を出していることだ。たしかにこの時、石川善盛という衆議院議員が存在しており、彼は弁護士でもあって、背任横領で勝てると踏んだのだろう。まったくのデタラメであるなら、さすがに野口もこんな名前は出さないはずで、野口の書いていることは相当まで正しいのだろうと思える。
※石川善盛の写真はWikipediaより
尾越弁護士らの弁明
このような尾越弁護士の疑惑については栄子の死後に起きた騒動の中で指摘されていて、尾越弁護士は六月三十日に反論の文書を出している。
以下。
尾越氏取扱金銭出入証明書
本日正午より金庫を開き××氏の取扱ひたる、地所建物に関する一切の書類を閲し、計算遂げたる
所左の通り収支正確なるを認む
一、病院売却金、十六万円
一、横須賀地所売却金、一万七千五百円
一、駿河台宅地売却代金、十五万円
計金三十三万七千五百円
支出
一、金十六万四千円(東京拓殖社債券、但し肥後銀行東京支店保護預り)
一、金八万五千円、駿河台宅地、担保貸付金
一、金三万一千五百二十円定期預金
計三十三万七千五百円
大正十年六月廿八日午後五時
浜田ステ
浜田家顧問 松浦有志太郎
同 佐伯理一郎
故浜田栄子親族会員 藤井敬慎
浜田捷彦代理人 命尾寿次
しかし、これでも疑惑は払拭できていない。
すでに書いたように、病院に隣接した自宅の土地は西村伊作に売っていて、新村伊作はホテル用地として購入したとのこと。お茶の水駅の近くなので、たしかにホテルをやるには格好のロケーションである。これが文化学院となる。
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