今から個人がフィンランド方式を実行すればいい—男女別学肯定論を検討する/第二部(5)(最終回)(松沢呉一) -2,875文字-
「歴史教育に見るフィンランド方式—男女別学肯定論を検討する/第二部(4)」の続きです。
フィンランドの立候補者と政治家の女性率
スウェーデン同様、フィンランドではラディカル・フェミニストが強いはず。ただ、どこかの段階で、買春処罰の間違いを認めて撤回しそうな気がしないでもない。そのくらいには柔軟でしょう。買いかぶりかもしれないけれど。
フィンランドはクオータ制を導入しています。黙っていても男女平等は相当まで実現されているのに、なんでそんなことをするのかさっぱりわからんのですが、もしかすると、「やるべきことをすべてやっても議員の男女数が同じにはならないので、最後の手段としてクオータ制を導入する」ってことなのかもしれない。それにしたってよくないと思いますけどね。
フィンランドの国会議員における女性率は42パーセントで、候補者における女性率は40パーセント前後だそうです。クオータ制があるため、候補者率より当選率が少し高いかもしれないけれど、候補者率と議員率はほぼ一致しています。
日本も候補者数と議員率は密接に関係しています。女性議員率が少ないのは候補者が少ないためであり、候補者を増やさないと女性議員率は増えない。男女半々にしたいなら、男と同じだけ立候補するしかない。候補者が少ない中、性別で当選者を増やしたら、政治家になってはいけない人が当選するだけですから、男と女と同じように大学を選び、専攻を選ぶようにする必要があり、進路も同様というところまでは間違いない。
こんな簡単なことも調べずに、「海外では女性議員がこんなに多いのに、日本ではこんなに少ない、クオータ制を」なんて言っている連中はフィンランドの高校で「調べる」「考える」ってことを勉強してこい。それでもわからなければフィンランドの湖に沈んでこい。
※Googleストリートビューよりフィンランドのエドゥスクンタ(国会議事堂)。中にも入れます。
今日からあなたもフィンランド人
いいところもあれば受け入れにくいところもあって、「フィンランドは羨ましい」と思ったら羨ましいと思う部分を今日から各自がやればいい。今この日本で、誰に言われることなくやればいい。親がそういうことをやれば子どもも真似します。
そういった国民の集積が制度になり、学校の教育に反映されていくのであって、「フィンランドの教育は羨ましい」と言いながら個人主義に徹することできず、リテラシーが低いままなのは滑稽であり、自分の責任を放棄していると言わざるを得ません。
お仕着せの話題についていくのではなく、自分自身でテーマを探して、調べて考えればいい。本を読んだ時、テレビや新聞、ネットで情報を見た時に、そのままそれを鵜呑みにすることをやめればいい。「本当かな」と疑問を抱いて調べればいい。わからないことは「わからない」として触れなければいい。
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