松沢呉一のビバノン・ライフ

ねこいらず(殺鼠剤)で絶命—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(3)-(松沢呉一)-3,899文字-

家出、同棲、妊娠—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(2)」の続きです。

 

 

 

尾越弁護士の暗躍

 

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妊娠を契機にして、母・捨子の栄子に対する態度が軟化した時期もあったが、それも長くは続かなかった。尾越弁護士の横槍が入ったためと推測できる。

ここで妙なことが浜田家では起きていた。尾越辰雄弁護士は玄達亡きあと浜田家に入り込んで実権を握っていた。

同じく玄達に相談役として指名されていた佐伯理一郎松浦有志太郎は京都在住。緒方正規は東京在住だが、大正八年(1919)に死去しており、相談役は実質尾越弁護士一人であった。

尾越弁護士は栄子の家出を契機に、このまま二人が結婚すると、病院は野口の手に渡り、運営が困難になるという理由で、栄子の名義になっていた土地建物を売却することを主張。これには米国の捷彦も強く反対。にもかかわらず、尾越弁護士は話を進めて、大正八年十月、病院の土地建物を格安で手に入れたのは副院長だった小畑惟清(★後述)であった。また、やはり栄子の名義になっていた隣接する住居の土地を入手したのは西村伊作である。

西村伊作については「西村伊作の売春肯定論—「体を売る」「女を買う」の違和感 1」を参照していただきたいが、和歌山の資産家であり、建築家、画家として知られる人物。当初ここにホテルを建設する予定で購入したが、大正十年(1921)、西村伊作は与謝野晶子らと文化学院を創立する。この土地の売却にも疑惑がある(★後述。西村伊作が不正に入手したというわけではなく、受け取った金の行方に疑惑あり)。

そのことを栄子は知らずにいて、金はそれ以降も名義人の栄子に一切渡っていない。尾越弁護士の言い分では、もともと栄子の名義にしたのは捷彦が財産を放棄したことによって一時的に移動させたに過ぎず、遺言では栄子の取り分はなく、捨子と捷彦の判断に委ねられるものとしていて、捷彦はその権利も放棄したに等しい以上、捨子の一存で処分していいということだったようだ。

その結果、浜田家は東中野に土地を求め、新しく家を建てることになった。正確な住所までは不明ながら、「柏木」という地名が出てくることから、東中野は駅名であり、東中野駅から東へ四町とあるので、住所は豊多摩郡淀橋町大字柏木と思われる。現在の北新宿。

親族の中には二人の結婚を認めようという意見があり、尾越はこのままでは財産は野口に持っていかれると考えたわけだ。

※文化学院の看板の文字も西村伊作によるもの。下に小さく「1921 創立」とあるように、栄子が亡くなった年に文化学院は開校している。この時の建物は関東大震災(1923)で焼失、その後建て直された建物は、文化学院移転後も残されていて、現在は日本BS放送が使用している。お茶の水駅から徒歩3分のところ。なお、与謝野晶子がこれについて何か書いていないかと思って読んでみたのだが、文化学院について書いた文章でも、土地の由来については触れていなかった。与謝野晶子はこの売買にはからんでいないので当然かとも思うのだが、あれだけ騒がれたのだから、その経緯を知らないはずはない。

 

 

 駿河台から東中野へ

 

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大正八年(1919)十月二六日、身重の栄子は家出して以来初めて、すでに人手に渡ったことをおそらく知らぬまま駿河台の自宅の捨子を訪ねたが、捨子は栄子の姿を見ると外出して、それから数日家には戻らなかった。以降、女中らに遮られて、栄子は実の母に会うこともできなくなった。

栄子と野口の結婚話から逃げたかったとともに、捨子は、病院や家を売り払ったことの後ろめたさもあったのではなかろうか。

その心労が重なったためか、栄子は腎臓を悪くして寝込む。十一月二五日、予定より一ヶ月早く出産するが、子どもは生まれながらにして高熱があり、数日しか生きられないだろうと医師は告げ、栄子はその子に「寛」と名づけ、写真師を呼んでともに写真を撮っている。

二日後に寛は死亡。母体にも負担があって、栄子は翌春まで寝込むことが多くなった。

大正八年(1919)末、東中野の自宅が完成するまで、捨子は一時熊本へ。翌大正九年(1920)に入り、捨子は強度のヒステリー症状のため、二月から五月までの三ヶ月間同地の病院に入院。

同年六月、新中野の新居に移転。

この月、野口は予備勤務演習のために一ヶ月間入営。

その間、栄子は実家に戻るが、おとみらの嫌がらせは一層苛酷になり、食事も洗濯も自分でやらなければならず、体が弱っている栄子が飲んでいる牛乳さえも取り上げられる。

おとみが妹の病気のために東京を離れた際に、捨子と栄子はやっと話し合いをすることができるのだが、捨子はすでに自分の一存ではどうにもならないと言う。

やがて野口は東京戻り、野口と栄子は再び二人の生活に。

栄子は連日のように、東中野の浜田家に行き、自分が家を出る代わりにおとみを家から追い出すという話し合いもなされるが、これも反故にされる。

 

 

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