松沢呉一のビバノン・ライフ

涙なしでは読めない栄子の遺書—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(7)-(松沢呉一)-3,549文字-

尾越辰雄弁護士の悪巧み—浜田栄子はなぜ死を選んだのか(6)」の続きです。

 

 

 

死ぬ以外に方法をなくした栄子

 

vivanon_sentence野口亮著『逝ける栄子の為めに』(大正十年)を読んで、栄子が死を選ぶしかなかった心情を充分に理解した。

親族会議の結果、ひとたびは栄子を養子に出し、浜田家から外し、それから結婚をするという結論になり、尾越弁護士も合意し、栄子も納得する。ところが、その書類をすべて取り揃えたにもかかわらず、尾越弁護士は前言を翻す。捨子が反対しているというのが理由。以降、野口や他の人が捨子を説得しようとするのだが、おそらく尾越弁護士が「誰にも会うな」と命じていたと思われて、捨子は面会を断る。

あまりにひどい仕打ちである。当初、実質的に婚姻生活がすでに成立していたのだから、籍はいらないだろうとも私は思ったのだが、そうすると間もなく生まれる子は非嫡出子になる。子どものために、それを栄子は避けようとしていた。

当時、婚姻届けを出すには親の許可が必要であり、女は満二五歳にならないと親の許しなく結婚することができない。それまで栄子と野口の子どもは非嫡出子、つまり私生児として扱われることになる。

二人の結婚を阻止したのは尾越弁護士。おそらく法的には栄子の承諾なく土地を売り払ったのは不当であり、その金は栄子のものであることを知っていたからだろう。養子に出たところでその名義がそのままでは自分の自由にはならない。それがため結婚に反対したとしか思えない。

もうひとつ栄子には許し難いことがあった。愛する野口が貶められることだ。栄子は自身の意思として野口を愛したのである。尾越弁護士らはそれを野口が財産目当てで誘惑したのだと捩じ曲げた。これは屈辱。仮に野口が金目当てだとしたって、それを受け入れたのは自分。その意思を無視することは、自身の存在の否定に等しい。いまなお女の意思を認めず、自分の意思だと言っても、「男に言わされている」と決めつける人たちが山ほどいるが、当時はなおのことそういう見方が強かったろう。

もはや死してこの不条理を世間に訴えるしかない。彼女はそう考えた。彼女は尾越弁護士らから浜田家を守ろうとしていたのであり、野口を守ろうとしていた。

もし栄子がただ「この世では結ばれない二人があの世で結ばれる」と思っていたのであれば心中を持ちかけたはず。自殺するにしても、野口の外出中に自宅で自殺をすれば間もなく野口に発見されて、野口の腕の中で死ねるという選択があったはずだが、そうはしなかった。もしそうしていたなら、尾越弁護士や捨子が「野口に殺された」などと吹聴するに決まっている。

この死はただ結婚が許されないことを悲嘆した結果なのではなく、尾越という悪辣極まりない弁護士との闘いに万策尽きた末の最後の抗議であり、それに連なる人々への復讐だったのだと考えないと辻褄が合わないのだ。

※栄子と野口亮。椒魚生著『浜田栄子恋の哀史』より

 

 

栄子の遺書全文

 

vivanon_sentence栄子の遺書からもそのことは窺える。

では、改めてその全文を見ていただこう。

 

 

恋しき亮様

私は遂に最後の手段を取りました。私は死にます。

そしてあなたに申訳を致します、考へて見れば私は何といふ不幸な女でせう。あなたは何といふ不幸な男でせう。(併し考へて見れば三年間といふものあなたから随分愛されて暮した事は幸福でした)  母が最少し理解ある人でしたら私共は此の様な不幸を見る事は決して決してなかった事と信じます。しかし子として親をうらむ事は出来ません。私は母には充分に同情を致します。私は此の広い世の中に心から私を理解し心から私を愛して下さった人はあなたより外に一人もありません。

私はあなたに最後の御願ひがあります。私の死んだあとは、どうぞ私の考へのシソウ(※「真相」か)を世間に発表して下さいませ。そして世の中の人々に私共が如何に潔白であったかを知らせて下さいませ。後に残ったあなたはどうぞ紳士としての立派な行くべき道にしたがって下さい。さうして、私があなたを一生つれそふ夫に選んだ事に付いて裏ぎらない様にして下さいませ。又あなたに対して男子としての面目をむざむざにふみにじった尾越たちに対しても紳士といふことを忘れずに堂々たるフクシュウをして下さい。相手が如何にヒレツでもあなたは何処までも、紳士といふ事をお忘れ下さいますな。そしてあなたの年老いたる、お母ア様や御姉妹のことを忘れずに決して早まったことをして下さいますな。私はあなたが男らしいフクシュウが立派に出来る事と、貞淑な奥様を求められ楽しい家庭を得らるる事を神様に祈ります。あなたの将来幸多き事を祈ります。どうぞ私といふものを永久にお忘れなさらないで下さいませ。私の死体はどうぞお引取り下さいませ。私のかたみはあの指輪で御座います。どうぞ御伯母様、おとめ様、みね子様皆々様によろしく。私はあなたの温かい胸に抱かれて死にとう御座います。一人淋しく死んで行く女をあはれんで下さいませ。せめて私の冷たい死体があなたのおそばにまゐりましたらだいてやって下さいませ。

六月十四日

栄子

恋しき夫の君へ

 

※適宜、句読点に手を加えた。

 

 

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