松沢呉一のビバノン・ライフ

あらためて「江戸しぐさ」を確認—専門家の責任(1)-(松沢呉一)-3,534文字-

「江戸しぐさ」についてはもう「終わった現象」と見ていいかと思います。「終わってよかった」ということなのですが、学校教育に入り込んだ膿を出すまでは批判をしていくべきです。また、こういうもんで食ってきた連中はまた浮上を狙っているでしょうし、形を変えて復活するかもしれないので、いったい何がいけなかったのか、誰に責任があったのかをこれからのために改めて確認してきます(もちろん、「江戸しぐさ」を広げて、それで金を得ていた人たちが最大の責任を負うべきであることは言うまでもないとして)。これについても相当までに原田実著『江戸しぐさの正体』で論じられていますので、是非この本をお読み下さい。

 

 

 

まず反省

 

vivanon_sentence

「江戸しぐさ」を推奨する別学は無効—男女別学肯定論を検討する(4)」で、中井俊巳著『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』や新渡戸文化中学・高校を批判しましたが、これについては私は偉そうなことは言えない。

偉そうなことを言っていいのは、そのおかしさに自分で気づき、公然と批判を始めた人。原田実著『江戸しぐさの正体』のあとがきによると、ネットでは前から批判が出ていたらしく、商業出版で初めてこれを批判したのはパオロ・マッツァリーノ。一冊の本にまとめたのは原田実。この人たちは偉い。

すっかり世情に疎くなっていて、「江戸しぐさ」について、長らく私ははっきりとは知らずにいて、三年ほど前にFacebookで批判が流れてきてから認識しました。『江戸しぐさの正体』を読んで、「これはひでえ」と思いましたが、批判を丁寧にまとめたものを読んだから、「こんなもんによく騙されるな」と思えるだけで、その設定がないところで見て疑えたかどうかはわからない。

その段階で銭湯のポスターは見てましたが、とくにどうとも思ってませんでした。銭湯のポスターでは「江戸のしぐさ」になっていますし、中味がわからないので、疑いようもない(「江戸しぐさ」は商標登録されているため、それを避けて「の」を入れたのだと思われます)。あとになって、「ああ、あれもそのブームに乗ったポスターだったのか」と気づきました。

しかし、『江戸しぐさの正体』を読むと、始まりは1980年代。読売新聞から始まって、やがて朝日新聞は連載までやり、他の全国紙も軒並み好意的に取り上げ、公共広告機構がテレビCMで取り上げ、東京メトロもキャンペーンをやっていたらしいので、まったく目にしたことがないとは思いにくく、地下鉄で見たような気もします。「席を譲る」みたいなコンセプト。それでもそのおかしさに気づけてませんでした。お恥ずかしい。

Amazonで、「江戸しぐさ」関連の本についているレビューを見ると、2014年、つまり『江戸しぐさの正体』が出て以降、批判が一気に増えます。誰かが言い出したあとで後追いするのは簡単。なぞればいいだけ。これでは「江戸しぐさ」を信じてしまった人たちとあんまり変わらない。自分では考えていない。自動車を発明した人は偉い。自動車を運転するだけの人はそんなに偉くない。ただ乗るだけの人は全然偉くない。それと一緒。

そこを抜け出すには、自分でも調べて、誰も指摘していないことを指摘するしかない。でも、そこまで私はやってません。すまん。

 

 

これが「江戸しぐさ」だ!

 

vivanon_sentenceとは言え、「江戸しぐさ」を私自身がどこかで紹介するようなことがあれば最低限は調べるでしょうから、「なんだ、これ」と気づけたとは思います。

私がよく読んでいる古い出版物は明治以降のものですから、江戸には全然詳しくない。それでも、明治以降の知識から遡って「これはおかしい」と気づけるものもあります。あるいは雑学レベルの知識でも見抜けるものもあります。

もっともわかりやすい例を『江戸しぐさの正体』からいくつか孫引きしてみましょう(以下はすべて越川禮子『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』が出典)。

 

 

気温が二五度を超えるとぶっかき氷がいる。その合図、バロメーターはどこそこのご隠居さんと目星をつける。ご隠居さんが倒れたら、いち早く氷を仕入れる。だから、六感のきく敏感なご隠居さんは奪い合いになった。

 

 

これは気づく人が多そうです。富士山から江戸まで氷を運ぶ話は誰かの小説にもしてきたと記憶します。将軍のためです。それだって江戸に着く頃にはほとんど残らない。庶民が夏にぶっかき氷を手に入れられたはずがなく、こんな「江戸しぐさ」が実行されたはずもない。

次。

 

 

健康に明るく、楽しく暮らそうというのが“江戸しぐさ”の基本だから、気が滅(ママ)るのはおおごとだった。そんなときは一に眠り、二に眠り、三に赤ナス(トマト)、四にめざしといったそうだ。睡眠をたっぷりとれば、たいがいの疲れはとれる。それでもよくならなければさらに栄養のあるトマトやめざしを食べればよいと考えたようだ。

 

 

トマトを日本人が食べるようになったのは明治以降です。江戸時代に入ってきてはいても、それまでは毒があると思われて観賞用でした。このことは私もメルマガで書いたことがあります。自分の原稿を調べるのが面倒なので記憶で書くと、ホオヅキの毒は堕胎に利用されていて、赤い実の連想からトマトは長らく毒があると信じられていたのではないかと指摘する内容だったと思います。

次。

 

 

next_vivanon

(残り 1490文字/全文: 3734文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ