松沢呉一のビバノン・ライフ

中野新橋と新井薬師—中野の花街(1)-[ビバノン循環湯 385] (松沢呉一)-4,180文字-

2011年にメルマガに書いたもの。

 

 

 

今日の東京 なんでもわかるバイブル

 

vivanon_sentence現代用語の基礎知識』で知られる自由国民社は、かつて別会社でエロ本を出していた。

現代用語の基礎知識』にはセックス用語、性風俗用語が充実し、私も思春期には大いに役立てたものだが、これもエロに寛大な社風が影響しているのではないかと想像する。

その自由国民社が出していた「自由国民・バイブル版」というムックのシリーズがあって、このシリーズでもしばしば性の情報が特集されていたり、章が設けられたりしている。

その第7集である「今日の東京 なんでもわかるバイブル」(昭和28年)は東京のガイドブックなのだが、赤線、青線、ストリップ、ダンスホールなどの情報も満載されている。それらを書いているのが新聞記者だったりすることがまた時代を感じさせる。当時は性風俗もまた社会の一面として新聞での正面から取り上げられていて、新聞記者の取材対象だったのだ。

朝日新聞記者の佐藤信夫は「待合遊び入門」を担当している。この「待合遊び」は連れ込みではなく、芸者遊びである。つまりは花街(かがい)のこと(もともと花街は遊廓を含めた用語だが、明治半ば以降、花街と言えば芸者町のこと。詳しくは「恵方巻きが始まったのはお茶屋か妓楼か—BuzzFeedの記事を検証する(笑) 1」参照)。

※図版はこちらから借りました。

 

 

東京の花街ガイド

 

vivanon_sentence補足を入れつつ、ざっと内容を紹介しておく。

▽花街の「新橋」は東銀座から築地にかけて。今も料亭が並ぶ地域で、芸者もいるが、この頃は芸者の数四百人。花柳界から芸能界にデビューするのは以前からいたが、逆に三谷幸子、鈴木美智子など、映画女優から転向した芸者もおり、料理も高いので、二万円はかかるとある。今で言えば三十万円くらいか。もちろん、枕芸者ではないので、二時間程度の座敷料金である。新橋は庶民が遊べる場所ではなかった。

当時も誤解している人がいたようだが、新橋駅近くの烏森は新橋とはまた別の花街であり、烏森はランクが下がる。

▽「財界の新橋、政界の赤坂」と昔は言われたが、戦後は赤坂も社用族に占拠されていく。料亭の数は七十数軒で、その三分の二は戦後派で、古くを知る人たちも代替わり。

柳橋は両国橋と柳橋の二つの橋の周辺。新橋、赤坂に比べると、小部屋が多いのが特徴。芸者は四百人足らずとあるが、その後凋落して、すでに柳橋花街は存在しない。

日本橋の芸者は百余名。日本橋の花街も今はないのではなかろうか。

葭町は人数が出ておらず、この頃でももう小さな花街だったはず。浜町、人形町、蠣殻町あたり。蠣殻町は新吉原ができる前の吉原があったところで、別名「元吉原」。

神田は湯島から九段までの広い範囲。

▽隅田川周辺をひとつにまとめていて、浅草向島深川。料亭としては浅草が東京一で、百三十余とある。芸者数も多くて四百名。周辺の料理店には、芸者上がりの女中も多い。

向島は昔の百花園だが、「いまは田園誰訪うすべもなく」とある。しかし、向島の花街は今も健在。ただし、コンパニオンという名の枕芸者で生き延びているだけとの説も。私は行ったことがないので知らないが、神楽坂の芸者が言っていた。

▽これ以降は名前を羅列して簡単に説明しているだけ。烏森神明芝浦麻布神楽坂四谷荒木町駒込五反田品川西小山中野新地新井池袋大塚王子板橋渋谷

今は神楽坂が、新橋、赤坂に次ぐ花街ということになっているが、この頃は「その他大勢」に入れられる程度だった。

渋谷は円山町から大和田町。「特飲街と乱戦のところ」とある。渋谷に特飲街(赤線)はなかったわけだが、駅から百軒店にかけては戦前の私娼窟から青線に発展した街だった。ここでの特飲街は広義の意味であろう(もともとこの用語は戦前に遡る)。

※上の写真は大塚の三業通り。今も料亭が辛うじて残るが、それよりも待合から発展したラブホが「らしさ」か。下は渋谷円山町の地蔵。

 

 

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