松沢呉一のビバノン・ライフ

淀橋と蛇伝説—中野の花街(3)-[ビバノン循環湯 387] (松沢呉一)-4,386文字-

阿部定のいた新井薬師—中野の花街(2)」の続きです。

 

 

 

官製の郷土史は役立たず

 

vivanon_sentence新井薬師に行った数日後、中野区立中央図書館へ。地域資料のコーナーで片っ端から花街についての記述を探したのだが、まったく出ておらず。一般に行政の郷土史でも、花街や遊廓について、少しは触れられているものなのだが、中野ではお硬い頭の人が編纂したのかもしれない。

それにしても古い時代であれば無視をすることは考えられない。特別に章がなくとも、観光や産業といった章に出ていてよさそうなのに記述が見つからない。各地域の説明の中にもなし。新井薬師については詳しく書かれているのだが、寺についてのみだ。どういうことだろ。

もっとも古い行政による資料は昭和二年の『中野町誌』と思われ、たまたまこの時に記述に漏れがあり、以降はこれをなぞったため、すべてに漏れが生じたのか。

中野区は昭和七年に東京市に編入されて誕生していて、それまでは中野町と野方町だった。現中野区の北部が野方町、南部が中野町だから、『中野町誌』に新井薬師の花街が出ていないのは当然として、中野新地のことは出ていてもよさそうだし、それ以降の区史にはどちらも出ていてよさそうなのだが、まったく見つからない。

※中野中央図書館の写真が出てこないので、なんの関係もない新宿北図書館。浜田栄子の実家探しのため、ここで地図を調べた。

 

 

新井薬師公園にあった茶屋

 

vivanon_sentence行政以外による出版物を調べた。佐々木廣光著『武蔵 野方町史』(日本史蹟編纂会/昭和二年)を見ると、新井薬師を説明した文章中に、わずかにそれを臭わす記述があった。

 

 

由来薬師如来は其の名隠れなく、況や今は中央線成り、電車の便拓けて中野停車場は近く六丁の南にあり、常に賽者益々増加して沿道講中の名など染めたる彩巾を翻しつつ、名物の梅干、紅梅焼、白梅焼などを商ふもの軒を列ね、尚門前には茶亭酒楼瓦を競いて四六時中、弦歌絶ゆる間もなし、(略)

 

 

紅梅焼は煎餅らしい。白梅焼は味違いの煎餅か。

弦歌ってことは芸者がいたのだろう。

新井薬師に続いて、新井遊園というのが紹介されている。

 

 

大字新井照院境内北寄りにあり、大正三年春開設したる処にして、園内二千四百坪許りあり、巧に杉林澗泉を利用したるを以て、昨今既に苔色滑かなるものあり、一日の清遊に適すといふ、因に此の附近に電信隊の兵営、私立大学の運動場新井スケート場等あり又近くに有名なる新井薬師ありて四期人跡の絶ゆることなし、土曜日曜など散策の客多く、園内に四五軒の茶亭散在せり、一帯に殷賑の地となれり。

 

 

こちらにも茶亭があった。こちらは純然たる茶屋か。

 

 

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