阿部定のいた新井薬師—中野の花街(2)-[ビバノン循環湯 386] (松沢呉一)-2,983文字-
「中野新橋と新井薬師—中野の花街(1)」の続きです。
新井薬師へ
後日、新井薬師の花街あとにも行ってみることにした。
中野駅から新井薬師に行ったことはあるが、新井薬師駅からはこれが初だと思う。新井薬師駅からの商店街は古い煎餅屋や和菓子屋があって、下町風情が残っている。
以前は新井薬師自体、裏から入っていて、正面に回るのもまた初。
社務所に行って、どこに花街があったのか聞いた。
「この正面に柳通があって、その周辺が花街でした。私も昔のことはよくわからないので、そちらで聞いてみてください」
鳥居を抜けてすぐのところに駄菓子屋があって、そこのおばあちゃんに聞いた。
「阿部定さんがいたところね」
あっ、そうだったのか。阿部定に関するものはいろいろ読んでいるのに、新井薬師も舞台のひとつだったことは全然覚えていなかった。
ここにあった鰻屋「吉田屋」で女中をしていたのである。吉田屋に奉公している時に店主の石田吉蔵といい仲になり、まもなく日本国中を震撼、また興奮させるあの事件に。
手元にある「話の王国社」編『昭和の妖婦 お定事件の眞相』(森田書房/昭和十一年)にも、新井薬師とは出ておらず、花街であったことの記述もなく、ただ中野区新井五三八という住所が出ているだけだ。現在の住所表記と違い、古い地図を見れば場所を確定できるはず。
※Googleストリートビューより
お姐さんだった人が時々歩いてますよ
昭和十一年の事件。七十六年前。このおばあちゃんもその時代はここにはおらず、ここにいたとしても覚えてはおらず。たしか八十歳だと言っていた。
「柳通りのちょうど真ん中辺を右に折れてちょっと入ったところに見番があったんですよ。その周辺と、左側に料亭や待合いがあったんですけど、今はもう何も残っていないですよ。前にテレビでもここを取り上げたことがあって、どこかのマンションに昔の井戸が残っているとやってましたけどね。私もどこに井戸があるのかは知らない」
しかし、ここにその話は出ていない。
「花街はいつ頃まであったんですか」
「そうねえ、私がここに来た頃はまだありましたから、昭和三十年代には間違いなくありました。それから少しずつ減っていって、最後はいつでしたかねえ。今でもこの辺に、お姐さんだった人がいて、その辺を時々歩いていますよ」
「芸者さんが」
「そうそう。それもあちらで聞いた方がわかる人がいるんじゃないかしらね」
おばあちゃんは駄菓子屋のわりに(というのも変だけれど)、やけに丁寧な言葉遣いであった。
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