松沢呉一のビバノン・ライフ

このままでは日本はこのまま—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(6)(最終回)-(松沢呉一)-2,840文字-

母性母性ってうるさいわ—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(5)」の続きです。

 

 

 

男社会は男女の共同作業で作っている

 

vivanon_sentence社会が変わらないのは男の意識が変わらないから。男の意識が変わらないのは女の意識が変わらないから。女の意識が変わらないのは社会が変わらないから(以下延々続く)。

それぞれがからみあっているにせよ、今の日本のこの状況は、良妻賢母の上に立つ人々が過去もそして現在も多過ぎることから必然的に導き出されたものであると言っても間違いではないでしょう。ここに依拠しているのは男だけではないのです。

すでに確認したように、2016年の段階で「妻は家庭は守るべし」という考え方に男の44.7パーセントが賛成し、女の37.0パーセントが賛成している。イコールではないですが、これが「男社会」を支えている層と重なりを持っています。

「イコールではない」と書いたのは、こういう質問では「反対」と答える人でも、金子恵美・元議員の公用車不正については金子恵美を擁護した人たちは多数いましょうから、「反対」の中にも良妻賢母的な考え方をする人たちが広くいるってことです。体裁を取り繕っても、内面は明治時代と変わらない人たちがいっぱいいるのです。

「女の議員数が増えて欲しい」「女の社会進出を支持」と言う人たちでさえも、「議員になっても育児は女がやらなければならないのだ」と考えてしまって、その実現を遠ざけている。そのことにさえ気づけない鈍感さ。

どちらかはっきりさせた方がいいのだと思います。「女はどこまでも育児をしなければならない」と考えるのであれば「女は社会進出すべきではない」とするのが破綻がなく、合理的です。良妻賢母主義であり、もっとも極端な母性保護派の婦人運動家たちの考え方です。この立場を採用するんだったら、女性議員率や女性役員率が低いことを嘆く必要なんて少しもない。

その両者を中途半端に合体させるから、ただただ母の負担が大きくなって、社会進出の足を引っ張ります。合体させる必要などなくて、個人がそれぞれの判断でそれぞれの選択をすればいいだけであり、それができるようになるのがいい社会です。

※「The war at home」 これも第一次世界大戦中のポスターです。学生に呼び掛けたもののようです。

 

 

国民の意識が制度を作り、社会を変革させる

 

vivanon_sentence私は母性保護主義をフェミニズムではないとは言いません。似非フェミとも言わない。

今の時代の解釈をするなら、母性保護主義は、男と女は違うというところから始まる「差異主義」に属し、育児や家事というシャドウワークを正当に評価すべしという立場のフェミニズムであると見なすことが可能です。宗教道徳はさすがにフェミニズムとは無関係であり、それを原理にするのはただの道徳運動ですが、そこに至らなければフェミニズム。

よって「妻は家庭を守るべし」という考え方は一方的に男が作り出し、男が一方的に維持してきた価値観であると決めつけるのは、それを主体的に選択してきた女たちの意思を否定することになろうと思います。

母性保護派のフェミニズムに私は共感はありませんが、その主体的意思を認めるが故に、この社会は男女が作り出してきたと言います。女性議員率の低さも、企業の役員率の低さも男と女が作ってきました。男社会は男だけが作ってきたのではないのです。

 

 

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