松沢呉一のビバノン・ライフ

エレン・ケイをめぐる山田わかと平塚らいてうの決定的な違い—女言葉の一世紀 123-(松沢呉一) -3,226文字-

山田わかによる浜田栄子評の杜撰さ—女言葉の一世紀 121」の続きです。

 

 

 

平塚らいてうのエレン・ケイ評

 

vivanon_sentence前回見たように、山田わかは個人主義を嫌っていて、だから、女個人が産む産まないの判断をするための知恵をつける産児制限運動を否定しきったのも納得しやすい。

対して平塚らいてうはエレン・ケイの個人主義者としての側面を理解して、著書『現代と婦人の生活』(大正三年)掲載の「エレンケイ女史」にこう書いています(この一文は自身が訳した『恋愛と結婚』の告知みたいなものです)。

 

 

個人主義者である彼女は人類の目的及種族の天職のために個人の幸福を犠牲にし、義務の観念の下に服従を強いることをせず、個人の要求を満し、個々の生活力を増進せしめることを種族向上進化の必須条件とした。彼女は何によって、久しく調和し難いものと認められてゐたこの両者の間に一致を見出したのであらうか。彼女は恋愛に於て人間の最も深き本能に根ざせる恋愛に於て之を見出したのである。彼女は恋愛に着眼することによって、種族の根本的要求と個人幸福の要求の同一を社会主義と、個人主義と、結婚と恋愛との一致を見たのである。

 

 

私がエレン・ケイについて書いた時にはこれを読んでおらず、個人主義者であるとの評価はエレン・ケイが書いていたものから判断したのですが、読めばそこに気づかないわけにはいかない。

とくにその個人主義(社会的個人主義とも平塚らいてうは言ってます)の主張は、個人の上位に理想を掲げて、個人がその犠牲になることを批判している点によく出ています。エレン・ケイは個人の幸福を追及したのであって、そのためには国家は母性を保護すべきであり、そのことが結果社会に反映されるのだと考えていました。

私は母性保護派を支持しませんし、エレン・ケイも支持しないのですが、個人主義に基づいていたことは見逃してはならず、そういったパーツを切り出せば評価可能です。ただの良妻賢母思想ではないぞと。私の平塚らいてうの評価は「いい点もあり悪い点もあり」なのですが、エレン・ケイを正しく読めていた点においては「山田わかとは大違い」と評価できます。

エレン・ケイの主張から個人主義の要素を外してしまうと、徹底して男女の性別に基づく役割を求める差異主義者であり、恋愛という新たな道徳をふりかざす恋愛至上主義者であり、問題の解決を国家に委ねる国家依存主義者でありますから、評価すべき点は何もなくなってしまいます。

なのに山田わかはそこを外した上でエレン・ケイを天才と評価。どうして平塚らいてうと山田わかでこうも違う評価になるのか不思議ですけど、山田わかは私が評価しないエレン・ケイの側面こそを積極的に取り入れていて、私が評価する部分は軽視したわけです。

山田わかは、エレン・ケイを尼僧に喩えて、「生涯を独身で通して、清く高く純潔な生き方をした」として讃えます(『昭和婦人読本. 処女篇』)。

子どもがいたところでその主張が価値をなくすはずがなく、むしろ独身を通したのは、自身の主張からして、女の責務を全うしえなかったことを意味するはず。「家庭内の仕事に向く母性を持つ女がその能力を外に向けるのは、ベートベンやワグナーが機関士をするのと同じように悲しむべきことだ」(大要)としたのがエレン・ケイなのですから。

なのにエレン・ケイが独身であったことを山田わかは評価しています。この矛盾について山田わかは気づいていたようですけど、女は処女で一生を終えることは個人主義から許されるのではなく、純潔主義から許されることであり、セックスするなら子どもを産んで、それを自分の手で育てるべきだと考えていたのでしょう。そのふたつの選択肢しかない。

 

 

エレン・ケイの文章の特徴

 

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平塚らいてうは前出の「エレンケイ女史」で、エレン・ケイの文章をこう評しています。

 

 

彼女の著書は歴史的研究や、社会的研究の結果になったものではない。時代のあらゆる思潮、傾向に対する最も鋭敏な女性の感受性に基づいたもので、その思考の態度は、可成り非科学的である。その思想表現法は不秩序であり、非組織的である。けれどもそこにまた彼女の長所ともいふべき優れて豊かな直観の多くがある。

 

 

エレン・ケイの文章はホントにわかりにくいのです。まず一文一文がわかりにくい(これは翻訳の問題もあるのでしょうが)。筋だっていないので、全体がどうなっているのか見通せず、何が言いたいのかもわかりにくい。私も理解するのに苦労しました。

 

 

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