松沢呉一のビバノン・ライフ

「他人主語」と「弱者萌え」—「私」を主語にできない問題[9]-(松沢呉一) -3,152文字-

「私」を主語にできなかった人の告白—「私」を主語にできない問題[8]」の続きです。

 

 

 

弱い者を見ることで安心したがる心理

 

vivanon_sentence前回、小室朋子さんが「私」を主語にしないことでのメリットが存在することを自覚していた点を確認しました。「私」を主語にすることが怖くて、ただただ堪えているわけでもない。好んでそうしているのです。

だったら、好きにすればいいのですけど、自他の区別ができないため、自分の不安感を克服できず、あるいは「便利なこと」を手放したくなく、他人の選択を妨害するのが出てくるのがうぜえ。小室さんの文章で言えば「あの人がかわいそうだから」が動機になるって部分。

男社会の道徳に乗って「売春する女たちはかわいそう」と言ってセックスワーカーの人権を蹂躙するような女がただの「犠牲者」なのかどうかってテーマにも通じます。

かわいそうな人がいてくれることで、初めて自分の生き方を肯定できているのですから、たぶん当時の小室さんは「かわいそうな人」を自ら求めていたのだろうと想像します。

SWASHの要友紀子がよく言う「弱者萌え」です。不安に満ちているほど、他人の不幸を求め、自分より弱い存在を求めます。

弱者救済みたいな活動をしている人が、自分の中に解決できない問題を抱えているケースを時々聞きます。実際に弱い自分を自覚し、それを克服するために障害者というもっと弱い人の問題に関わり始めたとはっきり公言している人もいます。

最近、メディアに登場してないと思うので名前は伏せますが、自著にそう書いていた人がいて、そのことを本人から直接聞いたこともあります。私はこれを好意的にとらえました。すでにそういう自分を克服しているから、そんなことまで言えるわけで、小室さんが過去の自分を正直に書いていることを好意的にとらえたのと同じです。

しかし、そのことを自覚できていない人の中には、弱い存在のはずの人たちが自分の意思をもっていることを知ると懸命にそれを否定し、足を引っ張る行動に出ることがあります。自分が上に立っていないとせっかくごまかしていた不安が浮上してしまいますので。共依存の足の引っ張り合いにも似ています。

そのため、こういった活動をしている団体の中には、そこをチェックして、自分自身の問題を解決できない人には関わらせず、「自分の問題を解決してから来てください」とお帰りいただくという話も聞きました。正しい。

※小室さんが今現在どこで医者をやっているのか書いてないですが、プロフィールによると慈恵医大病院に勤務していたことがあるとのこと。Googleストリートビューより慈恵医大病院

 

 

同質性の希求

 

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私主語問題」は「同質性の希求」というテーマにつながっていきます。ムラ社会とともに差別社会を支える心理です。

角岡伸彦著『はじめての部落問題』にこう書かれています。

 

 

数年前、インドのカースト制を一ヶ月にわたり現地で取材する機会があった。そこで私が感じたのは、差別は「同質」を求めることが「異質」を排除することと密接につながっているのではないかということである。

 

 

ここではカースト制の論及なのですが、著者は日本における部落差別の構造を見極めるためにカースト制を持ち出していて、これは差別一般に通じるもっとも重要な要素のひとつと言っていいでしょう。

カースト制は細分化された身分制度であり、差別される者が差別をし、そこで差別される者がさらに差別する構造がどうしてできあがるのか不思議と言えば不思議ですが、自然と言えば自然。

差別された集団は、差別された集団内部でも同質性を求めます。時には「おまえみたいなのがいるから差別される」ということになって異物認定して排除をしていき、下位のものを作り出して安心する。これによって同質性が強化されます。そこから排除された者たちはまた集団を組織していき…という連鎖です。

著者の角岡氏は、子どもの頃に在日朝鮮人と交流する母親を嫌悪していたという話を吐露しています。家族の中に在日朝鮮人を差別する人がいて、その影響を子どもである角岡氏が受けたのではないのです。むしろ家族は偏見なく在日朝鮮人とつきっていた。にもかかわらず、自分らよりも貧しい集団を見て、同じに扱われたくないとの忌避感情が差別意識を自発的に作り出していました。

差別されたくないから差別の構造を固定し、自ら差別をするという皮肉です。このような仕組みについても本書では論じられていますので、参照していただきたい。

これはおそらく自然な心の動きなのだと思います。だからこそ、克服する意思をもっていないとからめとられる。

とくに依存しないと生きていけない子どものうちは、集団から外れることを怖がるため、角岡氏が子どもの頃にそうだったのは理解できます。大きくになるにつれて、「自分と他人は違う」とわかってきて、「いろんな人がいるし、いた方が楽しいなあ」と思えるようになってくるってもんです。それとともに「私主語」を獲得します。

 

 

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