松沢呉一のビバノン・ライフ

「江戸しぐさ」を肯定した田中優子—専門家の責任(3)-(松沢呉一)-3,155文字-

なぜ多くの研究者は沈黙したのか—専門家の責任(2)」の続きです。

 

 

 

「江戸しぐさ」を肯定的に語っていた田中優子

 

vivanon_sentence原田実著『江戸しぐさの正体』では専門分野の細分化も指摘されています。歴史学とざっくり言っても、専門とする時代が違うともうわからなくなる。

これまた研究者ではない自分のことを考えても理解はできます。遊廓だって私がわかっているのは明治以降で、江戸の遊廓になると途端にわからなくなります。そりゃ最低限は知ってますし、つながってますから、明治からの類推はできますけど、リアルタイムに書かれたものに多数目を通している明治以降の理解とは比較にならない。

江戸時代が専門と言っても、その中で専門はさらに分かれます。徳川家が専門の人、制度が専門の人、下層民が専門の人、文学が専門の人、生活史が専門の人は対象が違っていて、それぞれどうやってもクロスし、他のことにも精通していないと理解ができないこともあるわけですが、興味の深度、理解の深度は違ってきます。

そういうもんですから、歴史が専門であっても、すべての時代、すべての事象に興味を抱けるはずはなく、時には一般の人たちと同程度の理解しかしていないことさえあるのだろうとは思います。

といった事情がある中で、田中優子先生はいったい何を考えて、以下のような講演をしたのでしょうね。

 

 

法政大学 社会学部メディア社会学科教授 田中優子 氏が講演」より

 

 

田中氏は、「”江戸しぐさ”といわれる”傘かしげ”や”こぶし腰浮かせ”などは、相手を思いやる気持ちがないとできない動作です。重要な点は、それらが社会へ出る中で、人間関係の距離感を自然につくりだすという、独自の日本文化であることです」と述べられました。

 

質疑応答で出た言葉のようなので、質問をされて知ったかぶりをしてしまったのかとも想像します。こういう立場の人たちは「知りません」と言うことが怖いですから。

しかし、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」という「江戸しぐさ」の用語を出していることから、自ら好んで持ち出したようにも読めます。

田中優子の著書は一冊しか読んでないですが、この人の江戸にとって、「江戸しぐさ」は都合がよかったのではないかとも想像します。

 

 

学者の世界はムラ社会か?

 

vivanon_sentenceその事情はわからないですが、なんにしたって、その責任は重大です。知らなかったんだったらしょうがないとして、おそらくは知った上で推奨しました。

これは2013年の講演であり、法政大学の総長になったのは翌年です。そして、原田実著『江戸しぐさの正体』が出たのも2014年です。

以下もWikipediaより。

 

 

江戸文化研究家で、法政大学総長の田中優子は、過去には江戸しぐさを肯定するような発言を行っていたが、2015年(平成27年)6月25日放送のTBSテレビ『NEWS23』において、江戸しぐさを「空想である」と否定した

 

 

否定しただけまだましとしなければならないのかもしれないですが、前々回書いたように、批判が出てから、それに乗っかるのは少しも偉くない。ブームになるとそれに乗っかり、批判が出るとそれに乗っかり。アホでもできるわ、そんなこと。

この経緯からして、原田実著『江戸しぐさの正体』が出ていなかったら、田中優子はいまだにヨイショを続けていた可能性も否定できない。

その場にいた人たちに「江戸しぐさ」にお墨付きを与えただけでなく、ネットでも拡散される。さらには見えないところでの影響も与えたかもしれない。

こういう人がヨイショをすると、研究者たちは批判しにくくなります。同じ法政大学にいるといよいよ批判しにくい。学会で顔を合わせる可能性のある人、今は違っても将来法政で働くかもしれない人たちは黙りこくります。学者の世界はムラですから。

 

 

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