松沢呉一のビバノン・ライフ

なぜ多くの研究者は沈黙したのか—専門家の責任(2)-(松沢呉一)-2,729文字-

あらためて「江戸しぐさ」を確認—専門家の責任(1)」の続きです。

 

 

 

大学の研究者が批判をしなかった理由

 

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「江戸しぐさ」の仕掛人と言っていい越川禮子という人の本を一冊でも通して読めば、おかしさに気づけただろうと思いつつ、実際のところはわからない。

「江戸しぐさ」というものが芝三光という人物によって創作され、メディアが取り上げるようになってから30年も放置され、道徳の教材にも採用され、学校で教えられるに至ったのは、メディアやメディアに関わる人々の責任であり、私を含めてまずそこは反省したいし、批判を始めた人に敬意を表したい。

はっきり認識できていなかったのだから仕方がないのですが、本気で私は「もっと早く気づくべきだったし、批判すべきだった」と反省しています。

でも、もっと反省すべき人たちがいます。Wikipediaの「江戸しぐさ」の項を読んでみてください。

とくにここ。

 

 

新潟青陵大学大学院教授の碓井真史は、江戸しぐさは専門家から見ればあまりにも馬鹿げており、反論しても研究論文にも学問的業績にもならない事に加え、エビデンスを重視せず団体の独自教義普及に依る何らかの利益供受者や、学術的常識に乏しい都市伝説の信奉者を納得させるのは困難を極めるため、2015年時点で学者による否定は、インタビューで「そんなことありませんね」と答える程度に留まっており、原田に代表されるような在野の人物が、使命感や趣味・興味本位から虚偽性を暴く解説本を書いているというような状況であると述べている。

 

 

この内容は、原田実著『江戸しぐさの正体』でより詳細に論じられています(上に書かれているのはそのダイジェストみたいなものです)。

 

 

わかるものとわからないもの

 

vivanon_sentence「ビバノン」で批判しているもののうち、近代、現代の性風俗については、「得意分野」と自認しているジャンルですから、誰に言われることなく、おかしなことが書かれていたら気づくのは当然。数字が間違っているくらいだったらともあれ、根本から間違っているようなものは見逃しません。

曽根富美子『親なるもの 断崖』テレビ版「吉原炎上」兼松左知子『閉じられた履歴書』佐野眞一著『東電OL殺人事件』あたりがそれ該当します。

竹内久美子は「疑わしい」という情報がなくても、一読しておかしさに気づけましたが、それは生物関係のものをよく読んでいて、それ相応の知識があったからです。

矯風会初代会頭だった矢島楫子のおかしさは、クリスチャンではない者が持つ常識に照らして気づけるはずです。矢島楫子のウソにまみれた生き方を肯定的に書ける三浦綾子がどうかしています。宗教だからでしょう。

高井としを著『わたしの「女工哀史」』で、「おかしいぞ」と気づいた最初のきっかけは印税であり、著作権についてです。あれはレアケースであり、通常は起きにくい条件がいくつもからむので、私も一読した段階でははっきりとはおかしさに気づけませんでした。まして著作権について詳しくない人は気づけなくてもしゃあないと思います。

中井俊巳著『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』はどこまで信用していいのかわからないまま読み続け、「これはダメだ」と思ったきっかけはまさに「江戸しぐさ」であり、そこからさらに調べていくうちに「全然ダメ」と結論づけました。全然蓄積のない分野なので、「調べる」という過程が必要でした。

もちろん、その一方で今でもおかしさに気づけていないものも当然あるはず。詳しいジャンルではない上に、丁寧に作られたフェイクであれば見抜ける自信は私にはありません。

つまり、常識の範囲でおかしさに気づけるものがありつつ、それぞれの人にとって詳しいジャンル、そうではないジャンルがあって、疑えるものと、信じてしまうものとがあります。

 

 

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