知らなかったらしょうがないけれど—専門家の責任(4)-(松沢呉一)-3,411文字-
「「江戸しぐさ」を肯定した田中優子—専門家の責任(3)」の続きです。
典型的言い訳例
歴史学者に「どうして『江戸しぐさ』批判しないのか」と問うたら、「何、それ?」と言う人も一部にはいるでしょう。「なんか、聞いたことはあるけど、よく知らない」という人もいるでしょう。知らなかったら仕方がない。
しかし、「知らない」と言うことを恥ずかしいと思うタイプは、本当はよくわかってなくても、あるいはよくわかっていても、「あんなもんがまさかここまで力を持つとは思わなかった」と答えることがおそらくもっとも多いと思います。プライドが高いくせに恐がりの無責任なインテリが言うセリフです。
これは「江戸しぐさが与太であることは、専門家である私は一読してわかるに決まってますよ」というアピールです。「あんな原田なんとかって物書きに言われなくてもわかってましたよ」と。実際、ちゃんと検討すればわかるでしょうよ。
「あんなバカげたものをいかにバカの大衆でも信じるとは思わなかった」と呆れることで、「大衆と俺様」の格の違いを念押しし、自分が批判しなかったことの言い訳完了。
誰も相手にしないはずのものだったのだから、それを放置したのは悪くなくて、「それを拡散したメディアが悪い論」「それに騙された大衆が悪い論」です。それ自体に正しさはありますけど、知っていて黙っていたことに問題はないんですかね。
※銭湯のこのポスターはおそらく4年くらい前のもので、最近のものは「奇妙な男の子—ハッテン銭湯(下)」に出してます。
黙っていることを恥ずかしいと思えない不思議
まさかこうなるとは思っていなかったことがそれまで黙っていたことの言い訳として成立するのだとしても、現にそこまで浸透してしまった以上、そうなった段階で批判しなきゃダメじゃないですか。今すぐにやればいいのです。でも、やらない。面倒くさいし、業績にならないし、忙しいし、腹減ったし、風呂に入りたいし。
さらに突っ込んで、こう聞くとしましょう。
「なぜ今やらないのですか」
「来月は大学の入学試験があるので忙しいんだよ」
「再来月やればいいじゃないですか」
「海外で学会だから」
「その次の月にやればいいじゃないですか」
「新学期が始まるから」
その夜、Facebookを見たら、小洒落た小料理屋で酒を飲みながら、蘊蓄を書いていたとさ。暇か。
これはあくまで仮想です。しかし、こういった呆れた反応をするだろう学者が少なくないことは容易に想像できます。「江戸しぐさ」ではない別の事象でこういう反応を確認しています。
だいたいそんなに時間がかかるはずがない。『江戸しぐさの正体』が出たあとなら、自身で新たに調べる必要はありません。一晩酒を飲むのをやめて、この本を読んで中味を検討し、それでもなお不安だったら、もう一晩酒を飲むのをやめて、越川禮子の本を確認して、この本を論じる形で、「江戸しぐさ」を批判すればいいだけなのです。アホでもできます。
※越川禮子著『日本人なら知っておきたい』は2015年に出たもの。ゼニのために平気でデマを流す人や出版社は、批判があってもそう簡単には諦めない。
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