松沢呉一のビバノン・ライフ

音楽業界で契約書が求められる理由—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(6)-(松沢呉一)-3,104文字-

互いに権利を理解していればナアナアでいい—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(5)」の続きです。

 

 

 

ここに契約書を持ち込むべきか?

 

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契約書がないことをとやかく言う人に対する私の反発は、契約書を導入することで成立しなくなる表現がある可能性について鈍感すぎることにあります。法律、権利、形式、金といったものでは割り切れない表現があるのだし、ナアナアだからこそスムーズに成立している表現があります。

極端ながら、日常的にある例を見ていきましょう。

道を歩いていたら桜の木の前にカップルがいて、「すいません、写真を撮ってもらえませんか」と頼まれて、「いいですよ」と答えます。

そしたら、バッグの中から同意書を出してきて、「これにサインしてください」と言います。見ると、著作権を放棄する内容です。撮影者の私が著作権を主張してこないようにするためです。

カメラを渡され、ただ言われたままに機械的にシャッターを押しただけでは創作性はなく、よって著作権は発生しないという解釈もあるでしょうけど、ここは議論があり得ますから、同意書があった方がいい。もし私が権利主張をしてきたら、彼らは自分の写真も自由に公開できなくなってしまいます。無断でネットに出したら私に訴えられるかもしれない。

しゃあないなと思ってそれにサインしたら、「顔写真のついている身分証も見せてください」と言われて、「やめとくわ、他の人に頼んでよ」になりませんか?

 

 

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