松沢呉一のビバノン・ライフ

「偏差値高くない系」女子校はどうしたらいいのか—男女別学肯定論を検討する/第三部(4)(最終回)-(松沢呉一)-2,330文字-

HT系JK(偏差値高い系女子校)が社会を変える—男女別学肯定論を検討する/第三部(3)」の続きです。

 

 

 

校則の両義性

 

vivanon_sentence「偏差値高い系」の女子校では一定の閉鎖性は必要ということも認めざるを得ず、一般には「制服なんていらないだろ」と思う私も、「偏差値高い系」女子校の制服については簡単には「なくていいだろ」は言えない感じがしてきました。

女子学院のように制服や校則がなくても、とくに問題のない学校もあるわけですから、全部そうなればいいと思うのですが、一方で、刑務所と同じで、「外と中は違う」ということをはっきりさせるための意義がありそうにも思えてしまうのです。それだけ外の世界の規範は強く、そことの分離をしないとフラットにならない。

もし私がそういった学校の教員だとしたら、そのゆるみはしばしば外の世界に従う方向で進むため、理想社会がそこから崩れていくような感覚があるかも。

「自転車通学だとスカートは寒いし、めくれた時に黒のパンツが見えて、カラスって呼ばれるようになったので、ジャージ着用もOKにしてください」という申し出があったら、「よし、ジャージでも短パンでもOK」って話ですけど、「スカートの丈はもっと短くていいことにしてください」と言い出すと、「ダメだ」と言いたくなる。今まで「東大で政治を勉強します」「早稲田で建築を学びます」と言っていた生徒が、スカートの丈が短くなるとともに、「文学部でフランス文学やります」「女子大に行きます」と言い出しそうな怖さです。

ここには両義性があって、隔絶することは外部の規範から脱出できると言えるとともに、社会への適応性を失う可能性があるってことでもあります。社会の規範からの離脱に成功すればするほど、生きづらくなるかもしれない。

ここで改めてカウンセリング室がいっぱいという話が浮上します。これは男子校でも受験校では一律にそうかもしれないですが、女子の場合は、勉強が苛酷なためだけでなくて、社会の規範に背くことによるものが入っているかもしれない。家庭によっては「女だから」「女らしく」という教えを今もするでしょうから、引き裂かれる。

ユリカモメさんは鴎友学園の中で精神を病んだり、退学するまでは至らずとも、学校に馴染み切るわけではなく、距離を置いていたタイプです。精神を病むのはむしろ距離を置けないタイプではなかろうか。

各高校のカウンセリング室のデータを発表して欲しい。男子校と女子校でなんらかの違いが出そう。

※道を歩いていて見つけた女子校入口の文字

 

 

偏差値高い系女子校は心配なし

 

vivanon_sentenceでも、「偏差値高い系」についてはさして将来の心配はしなくていいでしょう。世界が狭くなることが心配だったら、銭湯にでも通えばいい。いろんな層が来てますから。これまた安直な解決法ですけど。

 

 

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