松沢呉一のビバノン・ライフ

どこの国でもアバウトなところはアバウト—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(11)-(松沢呉一)-3,084文字-

解決もアバウトに—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(10)」の続きです。

 

 

 

人気のあるカメラマンはギャラを払わなくていい

 

vivanon_sentence稼いでいるカメラマンは、モデルにそれ相応のギャラを払ってもいいと思うでしょうけど、それはビジネスベースの場合です。

出版社がモデルや俳優、タレントを起用した写真集を企画し、プロダクションと交渉し、それに合ったカメラマンに依頼する。ここでは契約書も交わします。プロモーション用のイベントを書店で開催する場合も版元からギャラを出す。

この場合は被写体の存在が優先されて、そこから企画が始まります。パブリシティ権にバリバリ抵触するような話です。

その一方、名前が売れれば売れるほど、カメラマンの元にはタダでも撮られたい人たちが集まります。その時の動機はいろいろでしょう。

「自分をきれいに撮って欲しい」「注目されたい」「青春の記念に」なんて人たちのヌード写真を撮る企画をかつて大竹省二がテレビ番組でやっていたと記憶します。子どもと一緒のヌードだったはずです。おそらく写真集にすることが出版社との間で決まっていて、テレビなり版元なりからギャラを払っていたでしょうけど、それが目的ではない人たちです。

「きれいに撮って欲しい」という人たちは荒木経惟のところには集まらないでしょうけど、「自分の違う面を引き出して欲しい」だの「ともにアートをやりたい」だのといった人たちが集まります。ここには意思があります。意思がなければ荒木経惟のモデルをやらないって。

私の知り合いには何人か荒木経惟のモデルをやったのがいます。今は黒歴史になっているかもしれないけど、彼女らを見る限り、疑いなく意思ある人たちです。

意思がない可能性があるのはタレントでしょう。意思は事務所にあって、本人はとくに何も考えていないことがありそうです。

※おそらく大竹省二・柴田宏二『ファミリーヌード』がそれだと思うのですが、同シリーズは「この本は現在お取り扱いできません」になっていて、書影も出てません。古い本なので、誰も登録をしていないだけかもしれないですが、書影がないのは子どもや赤ん坊の写真が入っているためかも。児童ポルノの要件に合致するはずのない写真なんですけどね。

 

 

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