松沢呉一のビバノン・ライフ

感情領域の表現物—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(13)-(松沢呉一)-3,542文字-

消え行く師弟関係—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(12)」の続きです。

 

 

 

自主映画ではノーギャラが当たり前

 

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小劇団はまだしも公演時だけはギャラが出ることもありますが、自主映画は全部ノーギャラが当たり前。

横須賀歌磨呂企画・脚本・主演、福田光陸監督の映画「やりまんハンター」はまだ撮影が続いているのですが、技術スタッフ以外はすべてノーギャラだと思います。出演も一部ギャラが出ているかもしれないですけど、出ているとしても知れてましょう(追記:詳細がわかりました。スタッフ、キャストともに、安いとしても、思っていた以上に広くギャラを出してましたが、大半はノーギャラです)。

自主映画がヒットして利益を出す可能性よりも、赤字になることの方がずっと多い。稀にヒットすることもありますが、利益は次回作に回されるのが常で、出演者はどこまでもノーギャラ。ヒット記念の宴会代くらいは無料になるかもしれないけど、稀なヒットのために数十という出演者と契約書を交わすのは面倒です。

人によっては「映画に出られて嬉しい」、人によっては「これをステップに役者になれるかも」、人によっては「自分のプロモーションになる」、人によっては「ともに素晴らしい作品にしたい」、人によっては「普段のつきあいから出るしかない」など、それぞれに思いはあるわけですけど、どいつもこいつもノーギャラであることは合意です。

それでいいじゃないですか。

ちなみに私は普段のつきあいから「やりまんハンター」に出るしかなくて、飲み屋でロフトの加藤梅蔵社長を説教しているオヤジ役で出ています。セリフはあるような、ないような。たぶん音声はきれいには拾われないし、全部カットになるかもしれなので、ここに再録しておきます。アドリブにしてはいいオチだったんですよ。

「最近のロフトはなんだ。なにがロックカフェ・ロフトだ。ロック喫茶だと? 70年代か! うたごえ喫茶か! 今時誰が金を出して音楽を聴くよ。ようつべでタダで聞いて聴くだろ。オレだって金を払って音楽を聴くのはストリップ劇場だけだ。人間、昔を懐かしむようになったらおしまいだ。あー、昔のロフトはよかった」

 

 

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