孤児院から脱出して児童ポルノに出演—どこまで本当かわからない話(上)-[ビバノン循環湯 398] (松沢呉一) -3,703文字-
「言葉も顔も偽りの風俗嬢—虚言の人々[下]」のラストに「虚言のAV嬢」のことを書いています。病的な虚言ではなく、話題作りなのだろうけれど、ほとんどが作り話だと思われ、そうとわかるようにして雑誌に掲載しました。そのインタビューを循環しようかと思ったのですが、当時少しは話題になっていた人物であり、同様の話を他のいくつかのインタビューでも語っていたため、名前を伏せたところで個人が特定できてしまい、無断では出しにくい。
その代わりに別の怪しいインタビューを循環させます。十年以上前に「スナイパーEVE」に出したものです。これもまた怪しいということを明記した上で掲載しました。この人物を紹介してくれたのは風俗店の店長だったところまでは記憶があるのですが(掲載した時はそのことは伏せていた)、それが誰だったかまでは覚えておらず、本人に連絡のとりようもないため、無断再録です。これ以外にどこかでインタビューを受けているわけではなく、存在を知られる人でもないので、個人の特定は困難でしょう。
本当は怪しい話であることを伏せて、最後に説明をした方がドキドキしながら読めるでしょうが、途中まで読んで本気にしてしまう人がいるとまずいので、まんま事実とは思えないことがわかるタイトルにし、先にこのような注釈もつけておきました。私もいまだどこまでが本当なのかわからず、皆さんも、そこを見極めながらお読み下さい。
図版はすべてメトロポリタン美術館より。
驚くべき告白
知人とダベッていたら、とんでもない話が出てきた。
「うちの職場にすごいのがいるんですよ。皆でテレビを見ていたら、幼児虐待の話をやっていたんです。“ひどいなあ”って言ってたら、スタッフの一人がポツリと“でも、こういうのって前からよくある話ですよね”って言うんですよ。皆で“えっー”ってビックリしたんですけど、詳しく話しを聞いてみたら、そいつ自身が、ものすごい体験をしていたんです」
その話を聞いた私も「えっー」と声を出した。当然、「そんなことが小説以外で今の時代にあるんだろうか」と疑った。その話を私にしてくれた知人も疑いはしたのだが、「ウソを言うようなヤツではない」という。
「二年くらい仕事を一緒にやってますけど、今までもウソをつくようなことはありませんでしたし、真面目で、遅刻もしたことがないようなヤツなんです。その話を聞いてみると、納得できるところがいろいろあるんです。変わったヤツで、感情を外に出さない。怒ったりもしなければ、大声を出して笑ったりもしない。働くのは金のためだけと言いながら、金に対する執着も薄い。なにもかもがどうでもいいようなところがある。僕の人生の中で、初めて接するタイプの人間です。彼の生い立ちを聞くと納得できるように思えるんです」
半信半疑で、私は「話を聞かせてもらえないか」と頼んでみたところ、あっさりOKとなった。
※Thomas Gainsborough「A Boy with a Cat—Morning」
母親と生き別れて施設へ
彼の名前は安岡正一(仮名).。現在三十歳である。ホスト風の優男だ。
重い内容ながら、聞いていた通り、感情の起伏が感じられない、飄々とした口調で彼は話し始めた。
「東京で生まれたんですけど、生みの親のことはほとんど知らないんですよ。あとから世話になった人が調べて教えてくれたんですけど、母親は体が弱くて、僕を生んでから、実家で療養していたみたいです。それで、僕は知り合いのところに預けられた。そこはアパートみたいなところで、何人かで共同生活をしていました。僕はみんなに面倒を見てもらっていたらしい。ところが、すぐに今度は大阪に行くことになった。三歳か四歳の頃です」
わずかに彼はこの時の記憶があるという。
「親戚のところに預けられることになったという話だったんですけど、着いてみたら施設でした。そこに連れていかれるところもなんとなく覚えています」
孤児院である。
「キリスト教系の施設だったと思います。そこには子どもが一杯いて、僕と同じくらいか、もうちょっと上なんですけど、ほとんどが男の子でした。一週間くらいすると、廊下みたいなところに色の黒い人たちがいて、知っている顔が一人ずつ消えていくんです。僕らには“引き取り手が現れて幸せに暮らすことになりました”って説明があるんですけど、連れていくのは黒人の人たちだったせいもあって、ヤバいという感じがあったんですよ。ぶっちゃけた話、人身売買ですよね」
この日本で人身売買が仮に今もあるのだとしたって、こうも大っぴらに行われているとは思えず、たぶん善意の里親だろう。戦後間もなくから、海外の里親に引き取られた日本人の子どもは多いのである。そのため海外に売られるという風評が立ったこともあって、その都市伝説が今も生きているだけではなかろうか。
「あとからそういう話も聞きましたけど、当時の僕にとっては、見たこともない色の黒い人たちですから、怪しいとしか思えない。仲良くなったもう一人の子と話して、そこから逃げ出したんです。でも、外側から鍵をかけられていて、逃げられないようになっているんですよ。子どもが勝手に外に出ると危ないということでしょうけど、その時はそうは考えてなくて、閉じこめられていると思い、窓をこじあげて逃げた。子どもだったから、連れていかれるんじゃないかという恐怖心と、たぶん逃げること自体の好奇心もあったんじゃないかと思うんですけどね。一緒に逃げたヤツはたぶん捕まったと思うんですよ。よく覚えてはいないんですけど、結局一人で僕は逃げた。この施設には一ヶ月もいなかったと思う」
したがって、この時もまだ三歳か四歳。果たしてこの歳で窓をこじあけて脱走を完遂できるだろうか。
「それから一人でミナミをとぼとぼ歩いているうちに心斎橋に着いて、戎橋のところでヘンなオジサンに声をかけられた。背が低くて、色が真っ黒で、スキンヘッド。“どうしたんだ”と聞かれて、事情を話したら、“じゃあ、うち来い”と」
三歳か四歳のわりに記憶が鮮明すぎるような気もするが、このあたりのことは、のちにオジサンに繰り返し話を聞かされて、記憶を強化した模様。
「そのオジサンは、あとで僕のこともいろいろ調べたみたいで、親についても僕はそのオジサンに教えてもらったんです。その施設は人身売買をやっているという話もオジサンから教えられて、“逃げ出してよかったな”と言われた」
※Wilhelm von Glosten「Nude Young Child with Dog in Lap, Sicily, Italy」
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