実話か虚言か—どこまで本当かわからない話(下)-[ビバノン循環湯 400] (松沢呉一) -3,906文字-
「芦屋のマダムに飼われる日々—どこまで本当かわからない話(中)」の続きです。
新宿二丁目で売り専ボーイに
彼は監禁されていたわけではない。オジサンは、つねに彼に判断させている。物心ついた時からそういうものだった彼にとっては他の選択は想像ができなかった。なにしろ普通で言えば小学生なのだ。
「十二、三歳になって、オジサンは“いい歳なんだから、そろそろ自分で住むところを見つけろ”って言われて、それからはキャバクラのおねえちゃんのところに転がり込んだりしながら、時々アパートにも戻ったり。あとはずっとヒモ生活です」
十四、五歳でオジサンとは完全に決裂。それからしばらくして上京。しかし、未成年のため、働ける場所がない。
「新宿をフラフラしていたから、二丁目で働かないかと言われた。もうそういう仕事は絶対にしないと誓って東京に出てきたので迷ったんだけど、普通のバイトをしようと思って面接に行っても断られて、他に仕事がなかったので、それからしばらくは売り専です」
—なんという店?
「覚えてないですね」
これも裏取りをしようと思ってのことだが、どの店かもわからないのでは調べるのは困難である。
「その前に二丁目で働こうかと思ってスポーツ新聞の広告は見ていたんですけど、決心がつかないうちに、声をかけられて二丁目の店に連れていかれた。そこは一年もいなかった。稼げたんですけど、こういう仕事からは足を洗おうと決心して、以降は普通のバイトだけです。以降は売春業はしていません」
—今の仕事は?
「二五歳くらいからです。でも、ずっとヒモ体質は抜けなくて、女を見ると、どうやって金を引っ張るかしか考えないんです。そうじゃなくてつきあえるようになったのは、今の奥さんと知り合ってからです。恋愛感情とか嫉妬とかがわかるようになったのは彼女が初めてです」
※Paul Dubois「Saint John the Baptist as a child」
母親と再会
彼は十八歳の時に母親に再会している。
「川崎に住んでました。父親とはとっくに別れたらしく、一人で暮らしていました。何も仕事はしていなかったみたいで、“金を貸してくれ”と言われました」
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