松沢呉一のビバノン・ライフ

スピーカー研修の重要なポイント—「私」を主語にできない問題[付録 1]-(松沢呉一) -2,776文字-

昨年末から今年の頭にかけて出した「「私」を主語にできない問題」シリーズはもっと長くなる予定でした。しかし、あのシリーズは十分長くなり、読む人も減ったのでカットした部分があります。

カットしたのは「自他の区別」「個と全体の区別」「主観と客観の区別」がつかないことを論じたパートです。主語を「私」にすべきところで「女」「男」「人」「皆」という主語にしてしまう人たち、あるいは「日本人」にしてしまう人たちの問題は、「私」を主語にして発言して、その責任をとれない人たちの問題であるとともに、「自他の区別」「個と全体の区別」「主観と客観の区別」がつかないことの表れでもあります。「私が体験したこと」「私が感じたこと」は他者とは違うかもしれない。であるなら、とうていそれを普遍化して全体を語ることはできないはずなのに、それができてしまえる。

「自他の区別」「個と全体の区別」「主観と客観の区別」ができるようになれば、「私」を主語にすべきところで、「女」「男」「人」「皆」を主語にすることにためらいが生じるはずです。そうなるにはどうしたらいいのかをテーマにした部分は、問題が少し広がってしまうためにカットしました。

このまま闇から闇に消えていい原稿だったのですが、『新潮45』2018年8月号掲載の杉田水脈「「LGBT」支援の度が過ぎる」を立ち読みして、まさに杉田水脈は「個と全体の区別」「主観と客観の区別」ができない人なのだとの確信を得ました。

これについて具体的に原文を挙げて指摘している常見陽平「自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である」をお読みいただけると納得できると思います。杉田水脈がLGBTの差別がないとする根拠は「私の感覚」だけなのです。「私は差別しないから、LGBT支援は必要がない」と考え、LGBTへの公的支援や法整備を否定する差別者。こんな人が国会議員をやっていることの異常性や怖さをぜひ感じ取って欲しい。

そこで、こういうタイプの人たちはどういう訓練が必要なのかを書いたこの文章を「「私」を主語にできない問題」の付録として出しておくことにしました。

 

 

 

要友紀子の講演を聴いて評価を一新

 

vivanon_sentence「私と他者」「個人と集団」「主観と客観」という問題に重なる話を最近していたところです。

12月11日、立教大学でSWASH代表・要友紀子の講演会がありました。長いつきあいですけど、感激するくらいにいい内容でした。

彼女はふだん面白いこと、鋭いことを次々と言うのに、講演のような場所になると、途端に言葉が通じなくなる傾向がありました。表現が生硬になる癖、どこかからこなれていない言葉を持って来て入れこもうとする悪い癖があるのです。

そのため、「彼女はそういう場に向かない」と私はずっと思ってきて、積極的に聴こうとすることもなく、これだけ成長していることに気づかないでいたのです。人の評価は時々リセットして最新のものをアップデートする必要があると反省しました。

※アイドル歌手のサイン会を告知するかのような講演会ポスター

 

 

スピーカーの要請が急務

 

vivanon_sentenceその打ち上げの際、セックスワーカーのスピーカーを養成をしていく必要があるという話になりました。セックスワーカーの当事者を無視する形で、セックスワークについての議論、法律についての議論が進むことに対抗するには、当事者、あるいは元当時者のスピーカーが必要です。

当事者だけが発言の資格があるわけではなく、非当事者でも発言をしていいに決まっています。しかし、現実を正確に把握していない人たちが勝手な思い込みで語り合っても意味がない。

そういった人たちが考える対策はしばしば働く者たちを困窮させ、適切な対策を遠ざけますから、「当事者の話も聞けよ」との非難は当然なされましょう。その話ができる人たちが必要です。

しかも、さまざまなリクエストに応えられるよう、各種とり揃えた方がいい。

AVについては川奈まり子さんらがいます。AV男優も森林原人らがいます。しかし、性風俗についてはまだまだ語れる人が足りない。ソープランド、ヘルス、おっパブ、ストリッパー、売り専、ニューハーフ・ヘルスなど、各ジャンルに精通した語り手が欲しい。それぞれ少しはすでにいるのですが、世代もいろいろいて欲しい。

この時に、ただ人前で堂々と話ができるだけでは十分ではありません。何が求められるのかと言えば「私」を超える視点です。その視点を得ることで、「私の事情」は「私」という主語で語るしかないものだと理解できる。同時に「私」を超える場合は、「私」で語らないことができるようになります。

それができないから、「私の事情」「私の体験」「私の感覚」を「みんな」「女」「風俗嬢」という主語で語ろうとしてしまうのですし、「私の事情」「私の体験」「私の感覚」が普遍的なものであるかのように語ってしまうのです。

※要友紀子講演会の様子。本人はまったく写ってないでやんの。

 

 

next_vivanon

(残り 786文字/全文: 2862文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ