松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳をフェミニズムで偽装する—女の分断・フェミニズムの分断 [6]-(松沢呉一)-3,721文字-

なぜドウォーキンは力を得たのか—女の分断・フェミニズムの分断 [5]」の続きです。

 

 

 

属性をあげつらって否定した気になれる差別主義者

 

vivanon_sentenceナディーン・ストロッセン著『ポルノグラフィ防衛論』の邦訳が出た時はとくに話題になることもなかったですけど、日本でもセクハラの拡大解釈が現実になってきて、ポルノ禁止の勢力が増長するに至り、かつ、ヘイトスピーチに対して刑事罰を課すことを堂々主張する勢力が増長するに至り、昨今、この本をテキストを使用している例が増えてきているようでもあります。米国でこの本が出てから二十年も遅れましたけど、手掛けたかいがあったというものです。

私が監修しているってだけで、「男には女の気持ちはわからない」などと言い出す薄ら馬鹿が湧いてくるため、毎度説明しているように、ナディーン・ストロッセンは米国の法学者で、女でありフェミニストですからね。ナディーンは女の名前な。

あるいはそれをわかっていながら、日本語版を男である私が監修しただけでその価値がなくなるってことか。女の主張は男が監修すると価値をなくす程度のものだと思っているんですね。性差別活動ご苦労さまです。

先日、気づいたんですけど、日本語版Wikipediaにナディーン・ストロッセンの項目が出来てました (前回出した写真はそこから借りました)。

 

 

ナディン・ストロッセン(Nadine Strossen、1950年8月18日 – )は、アメリカ合衆国の法学者、弁護士、市民運動家。アメリカ自由人権協会(ACLU)の代表(1991年2月 – 2008年10月)。ACLU史上もっとも若い指導者であり、初の女性代表でもある。ニューヨークロースクールの教授であり、外交問題評議会の会員。『ナショナル・ロー・ジャーナル』と『ヴァニティ・フェア』によると、ビジネスリーダーまたは弁護士としてアメリカでもっとも影響力のある女性の一人である。

※項目名は「ナディーン」ですが、本文では「ナディン」になってます。

 

これでもまだ薄ら馬鹿たちは「男には〜」って言うかね。

属性をあげつらっておけば、中身を検討するまでもなく相手を否定できるわけで、怠惰な薄ら馬鹿が得意とする手法です。差別者であることを自ら晒していると察知できるほどには賢くないわけですが。

※大変充実しているアメリカ自由人権協会(ACLU)のサイト

追記:「「結婚しているフェミニスト」は成立し得るか?—女の分断・フェミニズムの分断 [3]」の追記に名前を出しているゲイル・フィータースンはフランスの研究者であり、女でありフェミニストです。この人の論は『読む辞典—女性学』に収録されていて、これに書いている人はおそらく全員がフェミニストの女たちです。ここまで何度も取り上げてきたように、この本にも多く学ばせていただきました。この本に収録されていたミシェル・リオ=サルセ「権力」を下地にして書いた「女たちが体制を補完し、道徳を強化した—女言葉の一世紀 120」に対しても、私が男であることに難癖をつけてきた自称フェミニストがいます。こういう人間を心底軽蔑していることを繰り返し書いてきているのですけど、それでもこういう発想をやめられないわけです。「女が書いていることは、それを男が踏まえた途端に価値をなくす程度の脆弱な論でしかない」とするに等しい。属性で相手を否定するのは差別者の典型的所作であることにいつになったら気づけるんでしょうね。一生無理かな。生涯糞フェミ、生涯薄ら馬鹿。

 

 

属性に依存し、属性で他者を評価する人々

 

vivanon_sentenceこういった発想には「私と考えが同じ女だけが女である」という思い込みが反映されています。「私=女」を疑えない。だから、「私」にすべき時でも主語が「女」になる。属性に依存してしまって自立ができない。個人も獲得できない。

「私が許せないこと」は「女として許せないこと」でなければならず、「フェミニストとして許せないこと」でなければならない。相手が男であればその属性で否定し、相手が女だと、「男社会に強制されている」「男社会に媚びている」と決めつける。あるいは「あの人は強いから」として、意見を無効化する。それもできない時は「フェミニズムを分断するな」「女を分断するな」とやるわけですよ。

男同士で意見の対立があった時に、相手に対して「男を分断するな」って言う男がいますかね。いるかもしれないけれど、極々稀な例であり、言われた方はワケがわからないでしょう。「同じ男だからって、どうしておまえと意見が同じじゃなきゃいけないんだよ、ボケカスが」と言われておしまいです。

「女を分断するな」と言いたがる人たちにも同じく「ボケカスが」と言うべきです。

男もまた属性による支配はされているのですが、それ以上に個として考えるし、個として相手を尊重する。そこに歴然とした性差があります。

この社会ではしばしば男は男を人として見る。しばしば男は女を女として見る。そして、しばしば女も女を女として見るのです。それが「分断するな」の正体です。「女は一様でなければならない」と考える人たちに対抗すべく、躊躇なく分断すればいい。

 

 

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