松沢呉一のビバノン・ライフ

表記統一の厳格化—廓と郭・遊廓と遊郭[下]-[ビバノン循環湯 412] (松沢呉一) -2,791文字-

どちらも間違いではないのだけれど—廓と郭・遊廓と遊郭[上]」の続きです。

 

 

 

古い出版物は表記の不統一を気にしていない

 

vivanon_sentence程度やルールはそれぞれ違っていても、表記の統一は多かれ少なかれ出版物では意識されているわけですが、昔の出版物はアバウトなのですよ。一冊の雑誌の中や本の中で不統一があるのは当たり前、同じページ内でも不統一がしばしばあります。

「昔はおおらかだったんだなあ」と思うのですが、今の時代はおおらかではないので、困ったことが起きます。

先日、配信した号で(注:「ビバノン」のことではなく、メルマガのことです)、昭和二十年代の雑誌から引用したのですが、わずかな文字数なのに、「遊ぶ」と「あそぶ」が共存していました。とくに両者を意味上区別しているわけではなさそうです。

また、ストリッパーの名前で、漢字と片仮名が併用されていました。漢字が本名で、片仮名が芸名だとも思われ、それを区別している使っているなら意味はあるのですが、そういうわけでもなさそうです。

ストリッパーの名前のナカグロもアバウトで、同一人物なのに入ったり入らなかったり。これも同じベージで併用されています。

これらもそのままにしておくのが引用のルールであり、明らかな間違いでも、そのまま引用するのが正しい。

しかし、昔の出版物のアバウトさを知らない人だと、「松沢が書き間違えた」と思うかもしれない。私が私の文章においてアバウトであると見られることと、引用の方法がアバウトと見られることとは別で、前者は単なるアバウト、後者はルール違反です。

こういう時は「原文のまま」の意味の「ママ」を入れたりするわけですが、誤字脱字だったらわかるとして、表記の不統一に「ママ」と入れると意味がすぐにはわかりにくく、間違っていないのに誤字と誤解されることもあるので、全部に注釈を入れました。面倒ですが、これがもっとも適切な方法だと思います。

※永田宗二郎著『品川遊廓史考』(昭和四)。戦前のものはたいてい「遊廓」。「遊郭」としているものは圧倒的少数派です。

 

 

表記統一が徹底される傾向

 

vivanon_sentence今の時代には、パソコンで一括変換ができるので、表記の統一は楽になっているし、漏れもなくなっているのですが、その分、表記の統一が厳密になってきているようにも感じます。統一することが当たり前になり、不統一が許されにくい。その結果、引用文の不統一まで気になってしまう。そうも気にしなくていいと思っている私も気になることがあります。

一括変換は万能ではなくて、不用意に一括変換すると、引用文内の表記までが変換されてしまうこともあります。意図せずに、「原文通りのルール」を破ってしまうわけです。

便利になると不便も増えるという話ですが、読者でも、表記の不統一を気にする層が出てきています。生半可な知識を得て、「おまえの文章は『廓』と『郭』が並記されている。素人か」なんて言い出す素人が出てきかねない。

プロの書き手じゃなくても、ブログで文章を書く機会が増えて、どうせなら見栄えのいい文章にしたいと思い、出版界のルールを導入する。もっと書いて、もっと考えるようになれば、表記の統一は実現できないケースが出てくることに気づけるはずですが、素人の方がこういうルールに忠実たらんとするところがあって、不統一を指摘することになにがしの快があるのだろうと思われます。「一括変換すればいいだけだけろ」と言いたがるわけです。

この流れはもう止められない。

 

 

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