YouTubeの基準を確認する—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[7] (松沢呉一)-3,152文字-
「ハンJ民の原理は遵法—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[6]」の続きです。
このシリーズをスタートしてすぐに、BAN祭り関連のスレッド、Twitter、wikiをチェックするのをストップしました。『セックスワーク・スタディーズ』の追い込みで、年表作りをやらなければならなかったためです。とくに複数のスレッドをチェックし続けるには時間がかかるのです。
で、昨日、wikiを久々に見てビックリこきましたさ。私が休憩に入った直後からBANされたチャンネルの数が激増しています。それまでは一日二桁に達することはなくなっていたのに、17日以降、22日まで、異常な増え方をしています。17日59、18日36、19日93、20日60、21日81、22日64。23日には元通り一桁になり。24日、25日はゼロ。
すげえなあ。6日間に400チャンネル近くをBANに追い込んでます。各自治体はヘイトスピーチ対策法ができても効果を上げられないらしいので、担当者は仕事としてBAN祭りに参加すればいいんじゃないかな。その方が住民の役に立ちます。自治体単位の戦果も公開すれば励みになります。
それにしても、何かない限り、こんな増え方をしない。それが何なのか気になるのですが、原稿の締切に追われているため、なおチェックする暇がなく、ここまで書いてあったものを引続き出していきます。
道徳よりも金が重要
人の行動において、また、他者との関係において、もうひとつ重要な基準として金というのがあります。金になるなら故郷を捨てる、友だちを裏切るという人たちもいるでしょう。地縁、血縁を金が超える。時に金は法も超えます。
宗教、道徳に基づく規範が強くない社会では金が行動原理となります。中国がその典型。
以下は、以前、「ビバノン」用に書きながら、面白くならなかったのでボツにした原稿の一部で、中国に行った時の感想です。
もちろん人によりけりでしょうが、おおむね中国の皆さんも、性についての考え方がオープンであり、カラオケ屋で売春しているおねえさん方も、おおっぴらにそのことを話してくれます。自称年齢もおそらくホントの歳。子どもがいることも隠さない。この場合はこっちが外国人だからってこともあるかもしれないですが。
彼女ら自身もそう言いますし、中国で売春の是非について聞いたら、「お金が儲かるんだったらいいんじゃないか」と言う人が多くて驚きました。共通する判断の基準は金であって、道徳ではないのです。
そんなに親密になったわけでもないのに、「ライターという仕事はどのくらい儲かるの?」ってズケズケと聞いてきますしね。ついついこっちは日本にいる時と同じように「まあまあ、ボチボチ」「全然たいしたことないですよ」なんて答えてしまうのですが、ああいう場合は「ガッポガッポ」と大風呂敷を広げた方が一目置かれるんだと思います。
儲からないのに売春をするのはバカバカしいのと同じで、儲からないのにらライターをやるのはバカバカしいのです。そういえば、なんで儲からないのにライターをやり続けてきたんだべな。
これは悪い評価として書いているのではありません。性についての道徳が強い日本を私は批判し続けているわけですから、その点についてはむしろ清々しい。
また、一方で、中国は親族や友人という関係に対しては、日本以上に親密な関係における規範が働きますから、そこでは金がすべてにはならない。
さらに中国では共産党の力が強く、共産党の子弟を仲間に入れたり、接待をするなどして根回しをして、法に反するビジネスをやる。ここでの規範は共産党と金です。
それぞれにそれぞれのルールがあって、時にいい方向に出る場合もあれば、悪い方向に出る場合もある。その「いい方・悪い方」という評価も人によって違う。
そして、日本社会で力を持っているのは法と金です。一部道徳。金儲けにもルールってものがあるはずですが、「金が儲かるならデマでも流す」「金が儲かるなら差別でもする」という連中がいて、その典型がYouTubeでの差別動画です。
※前に、秋山理央が送ってくれた「ビバノン」の誤字脱字リストに、この回に書いていた「カラOK」が入ってました。中国語でカラオケを「卡拉OK」と書くことを踏まえたものですが、一般的ではなかったか。正規の表記ではないのでしょうけど、看板にはこう書かれています。上の写真は台北です。台湾でもこの表記が見られます。大陸でもこういうところにお姉さん方がいて、交渉次第で、あれしてくれたり、これしてくれたりします。台北でそういうことをしている店はこっそりとやっていたりするのですが、萬華だとわりとおおっぴら。大陸はもっとおおっぴらで、なおかつ建物が立派で大きかったりします。そういうところでも歌だけ歌うこともできます。
YouTubeの基準
これに対抗しているのがハンJ民であり、彼らは大きくふたつの成文化された規範に則っています。
ハンJ民はケント・ギルバートが妄想しているような一定の考えのもとで集まっている人々ではなく、バラバラの個人ですから、共通の基準が明文化された規約や法になるのは合理的です。ここがしっかりしているのですよ。
考え方や目的で共通しているのは、「ネトウヨの動画を削除して遊ぶ」「YouTubeの掃除をする」ってことです。それに納得しない人は最初からスレッドに参加をしないのですから、「BAN祭り」で支配しているルールは、まずこの祭り自体のルールです。スレッドの冒頭に出ているテンプレにそのルールはだいたい記載されています。
判断するのはYouTubeの運営であり、削除基準がそのルールのひとつになり、これに沿って祭り参加者は報告をして、あとは運営側の判断を待つ。
以下が差別に関するYouTubeの基準。
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