ハンJ民の原理は遵法—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[6] (松沢呉一)-2,735文字-
「BAN祭りを無視して刑事罰導入を狙う人々と人権を無視してワールドカップを政治利用したロシア—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[5]」の続きです。
ハンJ民の遵法精神
前々回見た例だけがそうなのではなくて、「BAN祭り」に参加している人たちは冷静です。冷静に祭りをやらないと事故ったりしますからね。長く楽しむためには冷静さが必須です。
対してTwitterは冷静さに欠ける人がどうしても出てきます。この差がどこからどうして生じるのでありましょうか。おそらく場の特性の違いなのだろうと思います。
実のところ、「BAN祭り」のスレッドに通底しているのは「遵法」なんです。
「いやいや、匿名をいいことに、2ちゃんねる、5ちゃんねるではどれだけの逮捕者が出ているのか知らないのか」というご意見もありましょう。
私もハンJや嫌儲関連のいくつかのスレッドしか見てないですから、他がどうかは知らんですし、どうしたってそこからはみ出す人が出てきてしまいましょうけど、「BAN祭り」についてはルールに則っています(「けんま」もまた遵法です。遵法だからエスカレートしやすい。これについてはまた改めて)。
コミュニティと法の関係についてはかつて「週刊プレイボーイ」のサイトで長文を出していたのですが、今見たら消えているな。
そこに書いた話を踏まえると、なぜ「BAN祭り」は法遵守になるのかがわかりやすくなるので、簡単に説明をします。
規範は法律だけではない
社会はさまざまな関係とそれに基づくルールで成立しています。たとえば友だちに金を借りたり貸したりするのは、友だちの信頼関係に基づいています。そして、借りた金は返すのが当たり前。これも信頼関係があるからです。この時にいちいち法律上どうなっているのかを考える人はまずいない。そこにルールが存在していることさえ意識しない。高額でなければ借用書も交わさない。
こういった関係がさまざま張り巡らされていて、かつては隣近所の地縁、親族間の血縁が強く、それに基づいて、その範囲で通用するルールができていました。場合によっては法よりも、そちらのルールの方が優先されます。関係性に基づいた信頼のようなものがトラブルを回避し、いざトラブルになってもそれが解決してくれる。これが村八分のようなコミュニティの制裁にもなっていきます。
今はさすがにそんなことはあまりないと思いますが、昔はムラの巡査も、法律よりも地域のルールに従い、ケンカや交通違反があっても、そのくらいは見逃す。民事不介入の警察ですが、ムラでは夫婦間のケンカまで仲裁をする。このコミュニティを越えてのトラブルになった時に初めて法律で判断する。
こういう社会は今もいくらでも存在しています。宗教が力を持っている国がその典型です。法と宗教規範が合致している宗教国家はもちろんのこと、宗教が政治に大きな影響力を持ち、時に法を越えることがあるのはロシアを見ればわかります。
ソチ・オリンピックの際にプッシー・ライオットのメンバーたちがひどい暴行を受けてますが、あれは警察ではなく、コサック(民兵)です。あれだけの証拠映像があっても処罰されていないでしょう。警察ができないことを民兵がやる。
また、「地域特性と法規制の関係-「闇の女たち」解説編 25」に書いた中部アフリカの複雑な支配関係も参照のこと。
※「Pussy Riot – Putin will teach you how to love / Путин научит тебя любить Родину」より。以下同
(残り 1325文字/全文: 2820文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ