松沢呉一のビバノン・ライフ

絵葉書の各種役割—古い絵葉書[4]-[ビバノン循環湯 421] (松沢呉一)-2,288文字-

出せる乳・出せない乳—古い絵葉書[3]」の続きです。

 

 

 

絵葉書は貴重な写真資料

 

vivanon_sentenceこのシリーズは思いつくまま書いているだけですので、脈絡はありません。女子同性愛の話は前回までで終りです。

私が絵葉書のことばかり言うものだから、「なんで絵葉書なんだ」と思う人がいるでしょう。しゃあないんですよ、明治のヴィジュアルと言えば絵葉書なんですから。極端な言い方をすると、「絵葉書にないなら他にない」と言っていいくらいに絵葉書は写真資料として重要なのです。

このことは拙著『エロスの原風景』に書いているので、金のある人は買って欲しいものですけど、とくに明治から大正にかけての写真は、雑誌や本で探すよりも、絵葉書で探した方が早い。たとえば明治時代の吉原遊廓の写真は多数の絵葉書になっていますが、雑誌や本で探すのは困難。あったとしても印刷が汚かったりしますし、きれいな印刷で掲載されていても1点か2点。美麗な写真は絵葉書なのです。

これは印刷費の問題です。グラビア印刷が実用化されていなかった時代、美麗な写真印刷は高額でした。写真は広く浸透していたのに、明治の多色刷りページは石版が多い。絵です。

対して絵葉書は単価が高いので写真印刷をしても採算が合う。今だって、紙一枚の絵葉書が100円から200円程度で売られているように、絵葉書は利益率がいいのです。彩色をしても、なお採算のとりようがある。

昭和に入ると前回の「ギャング」の写真がそうであるようにモノクログラビアページが増えていきますが、カラーグラビアが実用化されるのはもっとあとなので、それまでは色つきの写真を楽しむには絵葉書でした。

美人絵葉書はたんに男たちが見るものではなくて、女性たちも最新流行の髪型や着物を見るためのものでしたから、ファッション誌の役割も果たしていました。

このサイトを見ている時に見つけた絵葉書。「女言葉の一世紀」で、女学生のオシャレとしてリボンがたびたび登場しましたが、こんな大きなリボンをつけていたのです。しかも、ふたつつけてます。このリボンにも流行り廃りがあって、ハイカラ女学生は頻繁に買い替えていました。これは女学生たちが学校ではないところでオシャレをしたという設定でしょうか。こういったことも絵葉書から読み取れます。

 

 

災害絵葉書で消息を伝える

 

vivanon_sentence今でも絵葉書は手紙を送るツールであり、額に入れて飾る装飾品であり、コレクションの対象であるわけですけど、当時はもっと幅が広い。

イベントの告知でも作られ、イベントの記念でも作られています。店や観光地の宣伝でもあります。今なおそういう絵葉書がありますが、展覧会の図録みたいな役割も果たしていました。

今はまず見ないものとして災害絵葉書というジャンルがあって、大火、震災、水害があると絵葉書が発行されて、「こんな状態ですが、私は元気です」などと親族や友人に消息を知らせました。その意味では報道として使用されたとも言えます。

例えばこれ。

 

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明治44年の吉原大火のものです。見えているのは吉原ではなく、吉原堤から見た千住方面というキャプションが入ってますが、まだ燃えています。

 

 

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