松沢呉一のビバノン・ライフ

戦前の女子同性愛表現—古い絵葉書[2]-[ビバノン循環湯 419] (松沢呉一)-2,208文字-

同性愛かコスプレか—古い絵葉書[1]」の続きです。

 

 

 

戦前の女子同性愛表現

 

vivanon_sentence宝塚歌劇団の前身である宝塚唱歌隊がスタートするのは1913年(大正2年)。それ以降のものであれば、宝塚的なものとして女子が男装をすることはあったでしょうが、あの絵葉書はそれ以前のものだと思われます(大正期のものである可能性もゼロではなく、よって宝塚的なものである可能性もゼロではない)。

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その背景については前回説明した通り。明治における絵葉書のモデルは大半が芸者(半玉を含む)であり、芸者がさまざまな役を演ずるものでした。男を演じているケースはほとんどないですが、あの絵葉書では、睦み合う男女を撮りたい。しかし、男女だと風俗壊乱になりかねないので、女同士にやらせたのだろうというのが私の推測です。

実のところ、レズビアン自体がそういう位置づけにあって、あれをレズビアンものだと受け取る人がいたとしても、あの表現は許されていました。その辺の事情を見て行きます。

戦前の出版物でレズビアンについての記述は全然珍しくありません。雑誌で特集が組まれていることもあります。軟派(エロ)系出版人の一人に花房四郎という人物がいて、女子同性愛についてよく原稿を書いています。この人を含め、トランスと同性愛をはっきり区別しているものがよくあって、今読んでも案外正確だったりもします。

また、とりたてて女子同性愛を取り上げたものではないものの中に、仰々しくもなく登場することがあります。

※フランスのレズビアンぽい絵葉書。サッフォー・イメージなのでありましょうか。私はこれを見ていて二百三高地髷はこの髪型の真似じゃないかと気づいたんですけど、実際、そうみたいです。まんまではなく、日本髪にアレンジしたのが二百三高地髷です。この絵葉書はちょっとしたワザが加わってます。これについては数回あとで。

 

 

木谷絹子著『女給日記』に見る女同士の行為

 

vivanon_sentence以下は木谷絹子著『女給日記』(金星堂/昭和5)の一節であり、著者は気持ち悪がってますけど、同時に相当に興奮もしています。

 

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著作権が生きていそうですけど、当時こういう記述があったことを示し、同時にその限界をも示す引用ってことで。

 

 

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