松沢呉一のビバノン・ライフ

誰もが意識しておいた方がいいこと—「私」を主語にできない問題[付録 2]-(松沢呉一) -3,343文字-

スピーカー研修の重要なポイント—「私」を主語にできない問題[付録 1]」の続きです。付録はこれでおしまいです。

前回取り上げた、昨年末の立教大での講演会が契機になって、今年は要友紀子への講演依頼が多数あって、毎月と言っていいほど講演をこなしています。そろそろ他のスピーカーを養成する作業に着手しないとバーストしそうですけど、養成するにも時間や金や人員が必要ですから、このまま要友紀子に頑張ってもらうしかないのかもしれない。彼女は「私」という視点ではない視点から話ができますし。

 

 

 

できそうでできないこと

 

vivanon_sentence前回書いたジャンププラスのスピーカー研修の心得は、人によっては簡単なことのように思えるかもしれない。事実、意識せずともこれがしっかりできている人はいます。

こんな研修など受けたはずがないのに、「他者とは違う私の確立」ということを厳密に実践していたのが南智子でした。それは彼女自身が「私は他の人と違っている」ということを早くから自覚しないではいられなかったためでしょうし、その自分を自身が受け入れてきたからこそなのだと思います。

誰しも他人とは違うのですから、「自分は自分、他人は他人」と考えるべきですけど、現実になかなかそうはならない。「私は他人と同じでありたい」、あるいは「他人は私と同じでいて欲しい」と願う人たちがいるのです。はみ出すことが怖い。自分は普通だと思いたい。

こういう人たちが「私の事情」「私の体験」「私の感覚」を議論の場に持ち込む。売春の議論をしているところで、「私はそんなことはできません」と言い出すのがいます。それは「あなた個人の事情」でしかないのですが、その区別ができないのです。あるいは「私の娘にはやらせたくない」とかさ。家族と社会の区別ができない。

取材をする側からすると、南智子みたいに「私の場合は」「私の知っている範囲では」「他の人は知りませんが」などと注釈の多いのを嫌うのもいるでしょう。「風俗嬢はこうなんです」とシンプルに断定してくれた方がいい。そういう断定を好む読者も多いのです。簡単にわかった気になれるから。事実を知りたいのではなく、わかった気になりたいだけ。

私はそういう決めつけをする人は信用できない。見たいものしか見ない人たちです。

※長谷川博史さんの著書。オススメです。

 

 

ゲイ=LGBTに非ず

 

vivanon_sentence教えられなくてもできる人がいる一方で、教えられないとできない人がいます。しかも、少なからずいるのです。だから研修が必要になります。研修を受けてもなおできない人もいます。そういう人は申しわけないけど、ジャンププラスではお引き取り願うそうです。

これはあらゆるジャンルで言えることで、長谷川さんにこの時聞いた話は私にとってはえらく説得力があり、さまざまなところに応用できると思いました。

よく見かけますけど、ゲイがLGBTについて語っている時に、「それは個人の話ね」「それはゲイの話であって、レズビアンは別ね」「それは同性愛者の話であって、トランスは別ね」と突っ込みたくなることがあります。

あるいはヘテロでも、知っているゲイを基準にLGBTを語っていることがよくあります。私もオープンリーなゲイについては頻繁に会い、話をし、共同で何かをやることもあるので、彼らについてはある程度は語れても、他のことは十分には語れないので、私の書くことには、Gに比してLBTがあまり出てきません。

知り合いはそれぞれいても、その個人がその属性を代表するわけでもないので、数名程度では全体を語れない。そのために、個別具体的なことを語る時に私はLGBTという言葉を使わないようしてしています。その程度には自覚的です。

※立教大で行われた要友紀子の講演会より

 

 

どうすれば克服できるのか

 

vivanon_sentenceそこを自覚している私でも、知り合いを根拠にして「ゲイ」を語ってしまっていることがあります。私が知っているのはオープンリーなゲイであり、クローゼット層については接点がとりにくく、その存在を意識し辛いのです。

ひとつひとつ正確に発言するように気をつけていてもそうなります。そこに無頓着な人たちはそこかしこにいて、訓練しないとそうなりやすい。

「私の話を聴いて欲しい」という欲望が「私自身をわかって欲しい」という欲望と合致している人はとくにそうなりやすいのだろうと思います。私自身を語らずとも話を聴いてもらうことは可能なのですが、私個人を語ってしまう。

セックスワーカーのスピーカーでも同様のことが起きるだろうと想像します。ひとつの業種を体験しても全体はわからない。そのひとつの業種であっても、ある店固有の特性が全体の特性だと思っていることがあります。

「私の体験」は重要ですが、「私の体験」は「私」の範囲で語るべきです。そのためにも「私」を主語にすることが必須です。

 

 

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