松沢呉一のビバノン・ライフ

消える「部落」—オールロマンス事件から言葉狩りまで[上][ビバノン循環湯 423] (松沢呉一)-3,063文字-

「言葉狩り」という言葉は、表現に対する批判や規制を広く意味するものとして使われているフシがあります。差別表現の歴史について調べたことのある人はとっくにわかっていることでしょうけど、改めてその始まりを見ておくことで、差別表現に対する批判や抗議一般を指すのではないことや「言葉狩り」という言葉がなぜ出てきたのかを理解していただきたい。その上で、「言葉狩り」を回避した上で、差別表現をどう抑制していくべきかというテーマに進みます。念のために言っておきますが、私は部落解放同盟が主導した表現に対する姿勢には批判的です。しかし、解放同盟だけを批判して済む問題ではありません。

これは2013年11月にネイキッドロフトで行ったイベント用に作った資料に、当日話した内容を加えて、メルマガで配信したものです。今回大幅に手を加えてます。ここ数日話題の「のいほい」こと菅野完が桜井誠に向けた「知恵遅れ」という言葉について論じていて、その付録編とした出したもので、本編はムチャクチャ長いので、循環するのは無理ですけど、そのうち要点だけまとめるかも。

 

 

オールロマンス事件

 

vivanon_sentence1940年代から、差別表現に対する糾弾闘争はあったわけですが、その糾弾は行政に対するものから始まります。「行政闘争」と言われます。それによって同和関連の予算を獲得するという目的があったので、そこにからまないとメディアをターゲットにすることはそう多くはありませんでした。

行政闘争」の始まりであるオールロマンス事件がその典型です。「オールロマンス」は1949年(昭和24年)に創刊され、1954年(昭和29年)まで出ていた雑誌で、時々カストリ雑誌としているものがありますが、カストリ雑誌の定義には該当しない大衆文芸誌といったところ。「りべらる」の高尚な雰囲気をなくしたような雑誌であり、端的に言えばもっと下品ということです。この雑誌名を今現在知っている人はたいてい「オールロマンス事件」による知識でしょう。

この雑誌の1951年(昭和26年)10月号に掲載された小説「特殊部落」が問題となります。「オールロマンス」の大半を所有している私も、この号は手に入らない。そのため、原文を読んだことはないのですが、ざっくりした内容と経緯についてはWikipediaの「オールロマンス事件」の項でわかります。

この作者が京都市職員だったため、市役所内の対立に利用され、解放同盟の前身である部落解放全国委員会がここに加わって、京都市当局の糾弾となっていきます。表現に対する糾弾は対行政の交渉上、自分らを有利にするための闘争として始まったわけです。差別表現を利用したと言っても大きくは間違っていないでしょうし、差別表現の範囲が拡大するほど有利になる構造がこの問題の背景にあることを確認しておきます。

※「オールロマンス」の表紙はこちらから借りました。

Wikipediaには、この内容は差別小説ではないとの見解を述べた人たちの実名が出ています。同じ人によるものかどうかわからないですが、私も何かの本で詳しく内容に踏み込んだ上で、同様の結論になっているものが紹介されているのを読んでいます。私は原文を読んでいないので、判断はできないのですが、実在の地名を挙げて、現実にはない設定のフィクションを描くことは問題があり得るのではなかろうか。貧しさをとらえたものだとしても、事実をそのまま描いたのであれば地名を出しても容認されることはありましょうが、現実とは違うのであれば誤解を生み、差別を加速させる可能性があります。差別を離れても問題があるように感じます。つまりは「親なるもの 断崖」に通じる問題です。いずれにせよ、これは「言葉狩り」とは言えないだろうと思います。

 

 

「特殊部落」で雑誌「世界」回収へ

 

vivanon_sentenceこのような例はそうそう見つかるものではなくて、以降、表現物が糾弾対象になることはさほどなく、行政とは無関係に表現物が大きな問題になるのは1969年(昭和44年)のことです。雑誌「世界」(岩波書店)が掲載した大内兵衛(元東京大学教授・元法政大学総長)の「東大を滅ぼしてはならない」の中に「大学という特殊部落」という表現があったため、解放同盟からの糾弾を受けて、岩波書店はこの号を回収し、次号で謝罪文を掲載しています。

 

 

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