松沢呉一のビバノン・ライフ

言葉が消えて表現内容にも影響—オールロマンス事件から言葉狩りまで[中][ビバノン循環湯 424] (松沢呉一)-3,832文字-

消える「部落」—オールロマンス事件から言葉狩りまで[1]」の続きです。

 

 

 

「きちがい」が消えた

 

vivanon_sentence山中央著『新・差別用語』(汐文社・1992)に1986年版のテレビ朝日による「要注意放送用語」集が全編掲載されています。新版「放送上避けたい用語」であり、いわゆる「言い換え集」です。

部落」は「集落」に、「特殊部落」は「同和地区」に、「きちがい」は「精神障害者」と言い換えることとされ、「きちがいを野放し」「きちがいに刃物」「きちがいざた」「きちがいじみた」は「絶対不可」と書かれています。また、「映画キチガイ」といった表現も不可。「釣りキチ」は「釣り仲間(マニア)」に言い換えるとされています。

今では「放送禁止用語」を代表する言葉のひとつと見なされている「きちがい」ですが、1973年の「放送上避けたい用語」の段階ではこれも掲載されていなかったようで、『新・差別用語』には[74年、大家蓮(大阪精神障害者家族連合会)の激しい追及の結果、毎日放送が「キチガイは禁句」と指定したのが「キチガイ」規制の始まりとされている]とあります。

それでも他の局では使用不可にされず。それからしばらくは「きちがい」はテレビで流れていたのですが、これ以降の数年間で、抗議、糾弾が続いたため、テレビから完全に消えていき、脚本が書き換えられ、再放送で吹き替えられたり、カットされたりが恒常化します。

テレビ局の対応は行政闘争から、表現そのものに解放同盟の抗議が向かった事を受けたものと言えて、ここから「きちがい」は精神障害を指すという意味合いが強まっていきます。「差別用語」とされたことによって言葉の意味が変化し、指し示す対象が被差別的な集団に限定されていく。そのため、いよいよ使いにくくなるというパターンです。

※最初の「言い換え集」から、その後の変化を確認した方がよかったのですが、簡単に資料が出てこないので、この辺は未確認です。

 

 

テレビから新聞、出版に

 

vivanon_sentenceテレビ業界に続き、新聞社や出版社での過剰自粛も始まります。たしかにテレビはあらゆる層に向けられるものですから、配慮すべき範囲が広くていい。しかし、出版までがそうも範囲を広げる必要があったのかどうか大いに疑問です。新聞のように締切が逼迫しているわけでもないのだから、ひとつひとつ文脈までを検討して判断する手間をかけることは可能だったはずです。

しかし、現に解放同盟等の抗議は広範囲に渡っていたため、出版界もテレビ局や新聞社の基準と同様の基準で言葉は狩られていきます。

これに対して、1975年(昭和50年)から、共産党が解放同盟との対立関係を背景に、これに反発して過剰な言い換えを「赤旗」が批判。広く一般に、「放送禁止用語」というものが存在し、言い換えなければならないことが知られるようになるのはこれ以降であり、この流れの中で「言葉狩り」という用語が出てきたのだろうと思われます。

しかし、動き出した流れは止まらず、1970年代のうちに、あっという間に「差別用語」は画面からも紙面からも誌面からも消えます。

 

 

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