松沢呉一のビバノン・ライフ

画期的判決—自分が何者であるのかを正しく認識させる権利[上]-(松沢呉一)-2,746文字-

 

名前や出自、国籍を名乗る権利

 

vivanon_sentence以下の判決は大変重要です。

 

 IT大手ヤフー(東京)管理の掲示板に虚偽の情報を書き込まれたとして、宮城県内の60代男性が同社に投稿削除と慰謝料を求めた訴訟の判決が9日あり、仙台地裁の村主隆行裁判官は「虚偽の事実が記載されていると知った時点で投稿を削除する義務があった」とし、同社に投稿削除と約15万円の支払いを命じた。

判決によると、2016年2月、何者かによって、男性の実名や職歴とともに「在日朝鮮人である」という虚偽の内容が投稿された。男性はヤフーに対し、日本国籍を証明する自身の戸籍抄本などを送って投稿の削除を求めたが、応じてもらえなかった。

ヤフーは弁論で「同姓同名の他人である可能性がある」などと反論したが、村主裁判官は「書証などから容易に(虚偽と)認定できる」と指摘。「人格的利益より、虚偽の事実を示した表現の自由を保護する理由は全くない」とした。

2018年7月9日付「朝日新聞デジタル」

 

 

賠償金額が少ないためか、さほど話題になっておらず、私もこの報道は見逃していて、半月遅れて、以下の記事で詳細を知りました。

 

 

2018年7月26日付「現代ビジネス」より

 

 

管理者が投稿を放置したことに対して削除と賠償を命じたことは今までにもあったことですが、この内容が画期的なのです。その意味がこの記事では的確に解説されています。

 

 

 

7月9日、仙台地裁はヤフーに対し、その運営する匿名掲示板サイトtextream(テキストリーム)の投稿を削除し、慰謝料等として15万円余りの支払いを命じる判決を下した。

問題となった投稿は、何者かが原告男性の実名、職歴とともに、男性が在日朝鮮人であるとの虚偽の記載を行うものであった。

興味深い争点は、本件投稿が本人の権利侵害となるかどうかという問題であった。

この点、ヤフー側は、名誉毀損の問題と捉え、本件投稿は「〇〇、通名××こと、在日朝鮮人△△君を本社に呼び戻そう!」という内容で、原告が会社にとって必要な人物だという印象を与えるから名誉毀損には当たらないと主張した。

これに対して判決は、本件投稿の問題は名誉毀損にはなく、「氏名及び出自・国籍を第三者に正しく認識してもらう人格的利益」の侵害の問題であり、本件投稿は氏名等について虚偽の事実を摘示することによってこうした利益を侵害したため、削除されるべきであるとした。その上で、削除せず放置したことについて損害賠償を命じた。

 

 

ん? 名誉毀損ではない? なのに賠償賠償命令? 詳しくはこの記事を読んで下さい。

 

 

何がどうして画期的なのか

 

vivanon_sentence私はこれを受けてFacebookでこう書きました

 

仙台地裁のこの判決はメチャ重要。単にヤフーの責任を認めて損害賠償の支払いを命じた点だけでなく、中身が重要。

「ビバノン」でもっと詳しくまとめたい内容ですが、暇がないので、簡単に書いておきます。

何年か前にFacebookで書いた論点です。たとえば事実ではないのに「あいつは朝鮮人だ」「ホモだ」「精神障害者だ」とされた場合に、「違う」と対抗することを批判する人たちがいます。「その属性に蔑視、差別意識がないのであればそれを受け入れるべきだ」と。たしかに「違う」とは言えない人にとっては「違う」と言えてしまう人は不快でしょう。

私もそういう決めつけに対して、否定せずに「それがどうした」と返すことはあるのですが、事実ではない以上、事実ではないと指摘することは当然であって、そうする人たちを批判すべきではないという趣旨でした。つまりふたつの面が同居していて、片方を優先すると片方がないがしろにされる関係にあります。そのどちららとるかについて、第三者は批判すべきではないというのが私の考えです。

これまで名誉毀損で訴える場合、刑事であれば事実ではないことを明らかにする必要がありました。その上で、刑事でも民事でも社会的評価が低下したことを主張したわけです。

対して今回の判決は「氏名及び出自・国籍を第三者に正しく認識してもらう人格的利益の侵害」ということを認めました。つまり、名誉毀損であるか否か、人を貶めるための差別表現か否かではないのです。事実ではないことを言われたこと自体への損害賠償が認められたわけです。

これによって、ふたつの面は民事裁判上、「差別されない権利」「人格を尊重される権利」であることが見えやすくなりました。「差別意識がないのであればそれを受け入れるべきだ」という批判は、差別への対抗という文脈では正しくても、人格権の尊重という文脈では正しくない。そういった批判もまた人格権を侵害する。自分が何者であるかを事実に基づいて表明することを批判してはならないんです。そうしたくない人はしない自由もあることは言うまでもなく。

たとえば社員が国籍や民族名を名乗ろうとしたら、会社が「やめろ」と命じてきたようなケースでも、民族差別を持ち出すことなく適用できましょう。

これが定着するかどうかまだわからないですが、すっきりしたなと。

この記事の後半も的確な内容なのですが、この流れだったらBAN祭りにも触れればいいのに。そこが惜しい。

 

 

 

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